2016年3月29日のブックマーク (5件)

  • 部下に「できるかできないか」を断言させるのは管理職の怠慢だと思う - ネットの海の渚にて

    こちら読ませてもらった。 blog.asimino.com おそらくこれを書いたあしみのさんは「失敗を恐れずに己の責任感を育てるためにもあえて『できます』と断言して自分を追い込め」みたいな意味で言っているのだろうと理解した。 予断を持つようなことばかりしているとやがて自分に甘い人間になってしまう。だからできるかできないかに関わらず「できる」と断言できるような社員に育って欲しいというイメージなんだろうと思う。 私も十数年前の若い頃に、あしみのさんのような上司のもとで働いていたことがある。 「これとこれ。○○日までにできるか?」 だいたいこうやって聞かれる。 この時の職場はとにかく不確定要素が多くて、とてもじゃないが数日単位にまたがるような業務だと仕上がり日の約束なんてできなかった。なので「全力でがんばります!」といつも答えていた。 それは冒頭の記事の上司のように「できると思います」と答えたら

    部下に「できるかできないか」を断言させるのは管理職の怠慢だと思う - ネットの海の渚にて
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/29
    いたらいいな、こんな管理職...
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    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/29
    つらみだけじゃない社会について書きました
  • ☆←ヒトデの経歴|今日はヒトデ祭りだぞ!

    他のブロガーさんのプロフィールとか見るとこういうの書いてあって、僕も書こ、みたいな。プロフィールに貼り付けるようだよ! 九割五分くらいの人は興味ないと思うし長いんで、お時間あって興味のある方だけ読んでください 保育園時代 そっから!? って言われたくてわざわざ書いてしまった よくいるお調子者の園児であった 親の仕事の関係で家から遠い保育園に通ってたんで、保育園以外での主な遊び相手は従弟 年上の従弟が何か勉強とかしてた影響で公文式とかをやってみる (※公文式:塾的なやつ!) すると周りの大人たちが「すごいねぇ」と言うので、それが嬉しくて真剣に取り組む(既に承認欲求マンの片鱗を見せる) 年長さんにして九九とか言えたんだ。すげーだろ 小学校時代(前半) 家の近くの学校へ。保育園から遠かったので知り合いが一人もいなかったが、子供特有のコミュニケーションで友達がいっぱいできる 周りがやってる習い事を

    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/29
    今日はクロス・ディスティニー祭りだぞ!
  • ごはんがおいしい、理由。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    すごくおいしいお店に行った。 そのお店はいつもぎゅうぎゅうの満員で、イラチの関西人も辛抱強く並んで待っている。 安くて、メニューは創意工夫があって、おいしくて、ちょっとだけ味付けは濃いのだけど、これがまたお酒に合う(ぼくは飲まないので関係ないが)。 かかっている音楽は軽快で、テンポが速くて、みんなのおしゃべりがどんどん進む、お酒も料理もどんどん進む。 お店の人たちは注文があるたびに大きな声を出しながら楽しそうに料理を作る。 どんどんべて飲んで楽しんでいってくださいねと、笑顔で声をかけていく。 お客さんがべて、飲んで、しゃべって、笑って、お店の人が作って、運んで、また注文を聞いて、かけ声を出して、それらがぐちゃぐちゃに混ざっていって、おいしいことと楽しいことと、あそぶことと働くことの区別がよくわからなくなってくる。 もともとは別々だったものが、お店の中でミックスされて、特別な味を生み出し

    ごはんがおいしい、理由。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/29
    おいしそうな.
  • インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠

    これに類することは沢山の人が書いているし、私だって書いていそうだけれども、反復的になったって構わないから書いておく。 たぶん、昔インターネットをはじめた人が考えていた自由とは、「自分の表現したい事を、誰にも文句を言われることなく表現できる」自由だったのだと思う。少なくとも私がネットサーフィンしていて感じたのは、それだった。あとは「表現されているものを誰にも文句を言われることなく閲覧する自由」。世間に対する呪詛も、いかがわしいエロも、書いたって構わないし眺めたって構わない――「インターネットは自由だ」と言った時に多くのユーザーが無意識のうちに含意していたのは、表現するにせよ、閲覧するにせよ、そういった「誰にも文句を言われることがない」という修飾語のついた自由だった。イコールではないけれども「無責任」というレトリックにも近かったかもしれない。 現在もインターネットには表現の自由がある、と思う。

    インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
    ponkotukko
    ponkotukko 2016/03/29
    自由と自由がぶつかる限り自由は存在しない