ブックマーク / crossacross.org (3)

  • メモ - 社会学内部からの社会学批判

    twitterでは社会学批判が喧しいが、当然ながら社会学内部からも同様の批判はある。それをメモ代わりにまとめておく。 太郎丸博:査読文化の欠如 「社会学者からの社会学批判」として昨今のインターネットSNSで最も引用されているのは、2009年の太郎丸博氏のブログ記事「阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望」であろう。彼の主張を端的に表す部分を抜き書きすると下のあたりだろう。 「最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。」 「アカデミズムを軽視し、に好き勝手なことを書くことを理想とするようになります。研究そのものから降りて

    メモ - 社会学内部からの社会学批判
  • ジェンダーギャップ指数というザル指標で見落とされてしまう差別

    今年もジェンダーギャップ指数が発表され、日は121位と相変わらず低位であった。この指数については、政治的エンパワメントに極端に加重がかかっており、かつ指標の採り方が女性の絶対的人権状況をとるものではなく性比一槍で評価するためブレやすく、そういった点に対する批判が多く聞かれる。 個人的には、政治的エンパワメントも目指すべき目標の一つであるのだから、そこに文句を言う筋合いはないと考えている。そのうえで、ジェンダーギャップ指数は政治的エンパワメントの指標としてもあまり質が良くないと考えている。ジェンダーギャップ指数は差別構造が残っているにもかかわらず見た目だけ順位を上げるハック・チートが容易であり、かつ実際上位に並んでいる国に差別的構造が残っていることが多いからである。言い換えれば、差別を撤廃するための指標としてあまり役に立っていない、ということである。この項では、それらの事例について検討し

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  • 表現規制論と女性の自発的モノ化

    この数か月、女性を描く表現問題でのツイッター上の論争がかまびすしくなっている。その中で小宮友根氏が論考を出していたが1、規制論の根拠とするには後退しすぎでおおよそ法的根拠には使えなそうな物であったため、方々から突っ込まれていた2。 私は穏健派なので、羞恥厭悪の感念を生じさせるようなものを規制したいという気分は尊重するし、それを法律として実装することに根的な問題があるとは思わない。が、小宮氏の論はおおよそ具体的な規制論を語るには足りないものだと思っている。というのも、小宮氏の論を使って女性が主体となる表現をつぶすことが可能だからであり、《女性のための擁護》になっていない、と思えるからである。 表現論Ⅰ――ハーレクイン型の“女性向け家父長制ファンタジー” 筆者は従前から男性稼ぎ手モデルからの脱却に賛同しつつも、女性稼ぎ手モデルが代替案として浮上しないことを強く問題視している。リーダーになる、

    表現規制論と女性の自発的モノ化
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