最近感じた、すごく当たり前の話をします。 「買う」という行為 本が読みたければ古本でいい。図書館もある。 お笑いも音楽もテレビで十分かもしれないし、あまつさえライブ映像までもがYouTubeで垂れ流されている。 しかしそこにはビタ一文として「対価」が発生していない。私たちは提供者に何も与えず無為に消費するだけだ。 娯楽が多種多様化し選択肢が無数にある以上、「入口」はそれでいいと思う。 ただ好きになったときには、きちんとお金を払おう。 一次的な意味としては、著作者にお金が渡る。提供された娯楽にその対価を支払うという至極当然の話。 そして、もう一つ重要な意味。「買う」という行為は「好きの意思表明」でもあるということ。 買うことは、出版社に、CD会社に、映像メーカーに、自分の「好き」を伝えるシンプルかつ本来的な方法だ。 また、購入物に対してだけでなく、「無くならないで欲しい」「次を提供して欲しい