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communicationと興味深いに関するprimafluegelのブックマーク (6)

  • 「嫌いなものが同じ」という価値観について

    @mamimumemakkori MEGUMIに特別な感情は持ってないのだけど、彼女がテレビでしてた「付き合う相手の条件」に上げてた「嫌いなものが同じ」という話にえらく感動して、結構頭殴られたくらいの衝撃受けた @mamimumemakkori 価値観が同じというと「好き」なものが同じであることに目がいきがちだけど、実は一番大事なのは嫌いなものが同じことなんだよ、という話。 好きなものが別々であれば相手から新しい世界を見せて貰えるし、自分の世界も広がり、うまくいけば楽しい時間を2人で共有できるようになる。 @mamimumemakkori 逆に嫌なものが別々であると、もし仮に1日のなかで「今日こんなことをされて嫌な気分になった」という話をしても共感してもらえなかったりして、喧嘩に発展することもある。されたら嫌なことのポイントが違うと普段から不快な気分になりやすいと。

    「嫌いなものが同じ」という価値観について
  • ひとりでいい、と言って欲しかった - 飲めヨーグルト

    いじめ。学級崩壊。人類が21世紀を迎えてもう何年も経つというのに、教育現場では僕の子供時代と何ら変わることの無い問題が繰りかえされ続けているようだ。この辺りの問題は、単に教育問題というよりも、人類全体がずっと抱えてきた病気みたいなもんだから、さすがに一発で解決する方策を見出すのは難しいだろうと思う。ただ、少なくとも日の学校教育においては、これらの諸問題を軽減する方法はあるのじゃないかと思う。それは子供たちに、ひとりぼっちでいることを許してあげることだ。 子供のころの僕にとって、学校を嫌いになる理由なんて無数にあったけれど、その中でも最も大きなもののひとつは、学校の中では、孤独が禁止されているということだった。構造として、制度として、学校はそういう風に作られている。学校の中で、ひとりぼっちでいると、ほんとうにみじめで寂しい思いをすることになる。大人になってから分かったことだけど、そのとき感

    ひとりでいい、と言って欲しかった - 飲めヨーグルト
  • 心象殺伐@2ch : ひろゆき@オープンSNS

    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ 心象殺伐@2ch 週刊アスキーに連載していながら、 なぜかブログで無料で記事を提供しているという編集部の懐が広いのが、 歌田明弘さんの立場が強いのかよくわからない歌田さんのブログに 2ちゃんねるについて書いてあったのですが、 ちょいと誤解があるようなので、書いてみます。 2ちゃんねるは管理人ひろゆきの性格の反映? そのとき彼から聞いた言葉のなかでもうひとつ強く記憶に残っているのは、「わざと殺伐としたサイトを作った」と言ったことだ。 もし2ちゃんねるを暖色系の柔らかな背景のサイトにしていたら、いまのような2ちゃんねるにはなっていなかっただろう。もちろん2ちゃんねるには、助け合いのムードが漂うヒューマンなスレッドもある。しかし、このサイトを生んだ青年が「殺伐としたサイト」

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) 駒場寮の北寮9Bの部屋、「基礎科学研究会」、略して「KKK」の部屋 予備校の講師に連れられて、駒場寮に出入りするように 「代わりに面接受けろ」入寮の面接は「替え玉」で突破 「経営と文体の基は寮での読書で培った」 東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にか…

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  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか

    タイトルで惹かれて一読、これはイイ! これは使わせてもらおう。 ロジカルシンキングやMECEといった論理的思考ツールは、確かに仕事に使えるまで砥いできたが、肝心の議論に役立ってはいない。あ、いや、「自分の考えを的確に表現し、相手に理解させる」ツールとしては有効だけど、 ・議論が紛糾したとき ・自分の結論へ誘導したいとき ・自分の主張に言いがかりとつけられたとき これっぽっちも役に立たない。「おまえの意見はよく分かったが ── ── そんな話はここでは通用しないよ」 ── SEにはカネのことなんか分からないんだ」 ── 他の人もみんなそうじゃないと言っているよ」 と断言されると、一瞬、どう返していいか言葉に詰まる。議論は黙した方が負け、というルールに従って引き下がらざるをえなくなる。しばらくたって、その「反論」は何の根拠もないことに気づくが、議論はもうあさっての方向へ行っている。 仕事の場に

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか
  • H-Yamaguchi.net: メールの流儀に関するささやかな「発見」をした話

    私は携帯電話のメール機能をほとんど使わない。PCメールを携帯電話からやりとりする(リモートメール、とかいうのだろうか)ことはあるのだが、それすらも自分から送るのは最小限にしている。理由は簡単で、打ちにくいからだ。あんな小さいキーボードで打てるわけないじゃん、と書いたあたりでもういまどきの人には「なんだこいつ」と思われているにちがいない。慣れた人が高橋名人ばりの速さで携帯メールを打つさまには、正直驚愕する。要するについていっていないのだ。 以上を前提として。 今回「発見」したのは、PCの電子メールを書くときの流儀が、私たちの世代と今の若い世代とではちがっている、という話だ。何いってるのあたりまえじゃん、となるのだろうが、とりあえず補足する。 私の世代だと、電子メールといえばPCで送受するものとして覚えた。メールを書くときに手としたのは紙で書く手紙だ。電子メールができる前は、PC(とかワープ

    H-Yamaguchi.net: メールの流儀に関するささやかな「発見」をした話
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