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私の商業誌デビューは、『宇宙戦艦ヤマト』が劇場公開を控えた1977年の春ですので、今年2007年でちょうど30周年。『闘将ダイモス』とはちょうどその当時、デビュー直後に始まった番組でして、アニメマスコミというものが確立し始めて仕事をした最初期のアニメということになります。ですから、作品そのものの内容というよりは、当時の状況のいろんな記憶といっしょに混じり合って覚えているんですね。 ここでは作品論を述べるよりは、そうした「過渡期の証言」みたいなものを残しておきたいなと思います。 ●アニメ雑誌黎明期に立ち上がった作品 まず時期的なことですが、アニメ専門誌「月刊アニメージュ」(徳間書店)は、劇場映画の『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978年7月公開)合わせですから、同年5月27日に創刊されています。『ダイモス』も、創刊すぐに表紙を飾ってはいるものの、新番組情報としては間に合ってはいないんですね。 そ
題名:長浜忠夫がもたらしたもの --巨大ロボットアニメの飛翔-- ◆長浜忠夫版ガンダム? 時に1979年。富野監督による『機動戦士ガンダム』は、第1話からアニメファンの注目を集めていたものの、視聴率不振で玩具も売れず、途中から路線変更になった。Gアーマーなるパワーアップメカの登場や、モビルスーツの新型が続々投入されるようになったあたりである。 この頃、アニメファンの間ではガンダムの行く末についてあらぬ噂が横行した。第26話で全員特攻して終わり、なんてのが典型だ。 明らかによくできたガセネタの中に「第27話で総監督が交替して長浜忠夫になる」、というのがあった。大笑いしながら、富野さんじゃなくて長浜さんがやるとどうなるのかなぁ、とバカ話に興じたものだ。 ――ギレンとドズルのザビ兄弟が物語の冒頭、自慢のモビルスーツを闘技場コロニーに出し、デギン公王を招いて御前試合をする。デザインはブッちゃんこと
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