『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の内容に触れる前に、この作品についてのアニメージュの記事を紹介したい。『完結編』についての最初の記事が載ったのが、1982年7月号。それ以降、1983年の公開まで、毎月記事が掲載されている。 面白いのは1983年1月号からだ。「拝啓、ヤマトスタッフさま 私は待つつもりです」のタイトルで、17歳の湊冬子というファンが『宇宙戦艦ヤマト』スタッフ宛てに書いた手紙を、2ページかけて掲載。これはアニメージュ編集部が前号で募集し、昔からのファンの気持ちを代弁するものとして選んだものだ。それに対して、次の見開きで、アソシエイト・プロデューサーの山本暎一が答えるという構成だ。そのファンの手紙は、小学3年生の子どもと高校3年生の青年を並べて立たせて「愛」と書かれたカードを見せれば、子どもと青年は全く異なった感情を抱くだろう、それは内的成長の結果である、というたとえ話に始まり、以下の
少しだけ『機動戦士ガンダム』の話を続ける。『ガンダム』に触れてから、自分の中で『ヤマト』の魅力が急速に失われていった。『ガンダム』を観たために、『ヤマト』的な「ロマン」を甘ったるいものと感じるようになったのだ。 分かりやすい例を挙げれば、劇中での死の扱いだ。『ヤマト』でも人は死ぬ。主人公も、主人公の仲間も命を落としていった。だが、大抵の場合、死ぬ前に思いを込めたセリフを口にしたり、格好いいポーズを取ったりしていた。勿論、僕はそれに魅力を感じていた。だが、『ガンダム』ではキャラクターが死ぬ前に、思いを込めたセリフを口にするような事はなかった。マチルダはドムの攻撃によって輸送機ごと粉砕される。死に至るまでの演出的なタメはなく、グシャっと潰される。カイ・シデンの恋人であったミハルは、自分がミサイルを撃った衝撃で吹き飛ばれて死んでしまった。敵の攻撃で死んだのですらない。「戦争って、本当はこうなんだ
いまだに『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』だけは気軽に観られない。仕事で確認する事があって、ちょっとビデオを再生しただけでも緊張してしまう。同じ『ヤマト』でも、『ヤマトよ永遠に』なら、ビールを片手に気楽に観られるのだけど、『さらば』だけは特別だ。気軽に観られない理由のひとつは思春期に真剣に観た作品であるから。もうひとつは『ヤマト』シリーズに関するトラウマのためだ。トラウマについては同年輩の人間でないと理解できないかもしれない。 順に説明しよう。『さらば宇宙戦艦ヤマト —愛の戦士たち—』は1978年8月5日に公開された劇場アニメだ。『宇宙戦艦ヤマト』第1作の続編であり、完結編。アニメブームを代表する作品であり、興行的にも大ヒットを記録している。ガミラスとの戦いを終えて立ち直りつつある地球に、再び脅威が迫る。それは銀河を蹂躙する白色彗星帝国ガトランティスだった。強大な敵に対してヤマトの
『宇宙戦艦ヤマト』の最初のシリーズ、『アルプスの少女ハイジ』のDVD-BOXが、奇しくも同日、2月22日にリリースされる。何故奇しくもかというと、本放送時『ハイジ』は『ヤマト』の裏番組であり、ファンはどちらを観るかで悩んだからだ。若いファンには関係ない話だけど。 『宇宙戦艦ヤマト』は一度DVD-BOX化されているが、今回のパッケージは別内容。『ハイジ』は以前、ハーフBOXになっている(※ちょっと修正)。詳しくは、近々に「マニアのためのDVDチェック」で。
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