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ロボットアニメと!殿堂入りに関するprisoner022のブックマーク (7)

  • 供犠としての碇シンジ、あるいはポストゼロ年代の想像力に向けて - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)

    炎暑の日々をやりすごすうち、ふと気づくと涼風を肌に感じる季節になった。夏ももうすぐ終わりだなあ。 ここのところ、blogでまとまったエントリを書く気力がなかったので完全放置していたのだけど、Twitterなどでそれなりに書き留めた断片的なメモはあるので、それらを編集してお蔵出しなどしてみる。 ついったからの転載、改稿。 「恋空」は古典的な通過儀礼譚、しかもその純化された形として読むことができる。「日常>他者である移行対象との出会い>非日常かつ象徴的生>移行対象の死>日常への帰還と自己変容」という型がそこには見出される。しかし、なぜそのような通過儀礼譚が多くケータイ世代に受け入れられたのかが疑問としてある。 以前、現代における通過儀礼は共同体や社会システムの構造変化により困難になったと書いた。それに代わり「共同体が付与する意味にしたがって通過儀礼をなして成長するのではなく、自らを再帰的に成長

    供犠としての碇シンジ、あるいはポストゼロ年代の想像力に向けて - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)
    prisoner022
    prisoner022 2008/08/30
    碇シンジが悲惨なのは/自らが供犠であることも、なぜそうなったのかも、それが何を意味するかも・・・/どん詰まりの認識は、まさにそこから何かを始めるために必要な基本認識
  • 2007-10-17 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ロボットアニメで戦争が描けるか(メモ)

    季節の変わり目に風邪を引いて体調を崩していたり。熱を出して寝込んでいたわけですが。ようやくマシになったので更新。 simulaさんと夏葉さんの議論の件について、ぼくから夏葉さんに対して失礼がありましたので、twitterのほうで謝罪させていただきました。repliesをご確認いただければ幸いです。 帰宅。 風邪を引っ張りながらの1日はなかなかつらかったのですが、現実逃避にいろいろ考えていたら、まあ、それなりの量になったのでうpします。なんかアニメの話ばかりでアレですが。 メモ 普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊 作者: クリストファー・R.ブラウニング,Christopher R. Browning,谷喬夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1997/12メディア: 単行 クリック: 103回この商品を含むブログ (8件) を見る「虐殺器官」読んだ人にお勧めかな、とか。内

    2007-10-17 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE) - ロボットアニメで戦争が描けるか(メモ)
    prisoner022
    prisoner022 2007/10/18
    ロボットアニメ自体が過度に抽象化されたフェティッシュな表現分野/そこで戦争を描くことはロボットアニメのフェティシズム/主人公と「超越性」のイコンたる主役ロボットとの同一化による、主人公の「世界精神化」
  • WEBアニメスタイル_REVIEW 氷川竜介 「過渡期の時代、ダイモスの頃」(闘将ダイモス DVD-BOX)

    私の商業誌デビューは、『宇宙戦艦ヤマト』が劇場公開を控えた1977年の春ですので、今年2007年でちょうど30周年。『闘将ダイモス』とはちょうどその当時、デビュー直後に始まった番組でして、アニメマスコミというものが確立し始めて仕事をした最初期のアニメということになります。ですから、作品そのものの内容というよりは、当時の状況のいろんな記憶といっしょに混じり合って覚えているんですね。 ここでは作品論を述べるよりは、そうした「過渡期の証言」みたいなものを残しておきたいなと思います。 ●アニメ雑誌黎明期に立ち上がった作品 まず時期的なことですが、アニメ専門誌「月刊アニメージュ」(徳間書店)は、劇場映画の『さらば宇宙戦艦ヤマト』(1978年7月公開)合わせですから、同年5月27日に創刊されています。『ダイモス』も、創刊すぐに表紙を飾ってはいるものの、新番組情報としては間に合ってはいないんですね。 そ

    prisoner022
    prisoner022 2007/05/18
    『ボルテス』以上に女性ファンに受けるための手練手管が、これでもかと/恋愛ドラマのエスカレートは、児童向けのロボット戦闘ものとしてどうかという批判も/『ダイモス』の後番組は特撮の『バトルフィーバーJ』
  • ロボットアニメは青春時代の夢を見るか? : 藤津亮太の「只今徐行運転中」

    2006年12月16日02:33 カテゴリ仕事書籍 ロボットアニメは青春時代の夢を見るか? 前のロボットに関するエントリに活発な反応があってちょっと驚きました。ロボットというアイテムには人の心をとらえて話さない何かがあるのだなぁと改めて思いました。というわけで今回は「グレートメカニック」21号の特集「'80ROBOTS」の冒頭用に書いた原稿です。 ロボットアニメは青春時代の夢を見るか? カラオケにいって『機甲創世記モスピーダ』の「失われた伝説をもとめて」を歌ったことがある。第1話の映像も流れてカラオケは例の如く大盛り上り。ところがそこでその場にたまたま参加した、若い男子が無邪気にも発した一言に、歌をガナっていた一同、ちょっと頭を抱えてしまったのだった。 その彼の一言とは――。 「で、コレおもしろかったんスか?」 ……シンプルだけれど、実に難しい質問だ。これはもちろん『モスピーダ』だけの問題

    ロボットアニメは青春時代の夢を見るか? : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
    prisoner022
    prisoner022 2006/12/16
    '80年代のロボットアニメを愛でながら、「なぜこういうアニメが今はないのだ」と呟いても、そのような奇蹟はもう二度と・・・ 自覚なしに'80年代のロボットアニメと戯れるのは、まさに「魂を重力に引かれている」こと
  • ガッチャマンと0テスター - 氷川竜介評論集

    題名:ガッチャマンと0テスター --巨大ロボットの出ない巨大ロボットアニメ-- ◆ルーツサーチ◆ 巨大ロボットアニメは、永井豪原作・東映動画製作「マジンガーZ」(72年)の登場で70年代にブームとなり、今日まで連綿と続く一大ジャンルを形成した。これは常識だろう。だが、巨大ロボットアニメの基フォーマットもすべて「マジンガーZ」が登場することで生み出されたものなのだろうか? 文では「科学忍者隊ガッチャマン」「0テスター」と2の作品を取り上げる。巨大ロボットが主役ではないのに巨大ロボットアニメのオーラを強く感じる作品だ。これを分析することで、「巨大ロボットアニメらしさとは何なのか」「それはどこからきたのか」という素朴な疑問に、従来とは別の視点からアプローチが取れるだろう。 まず、ここで言う巨大ロボットアニメらしさ、70年代中盤に定着したとおぼしきその基フォーマットとは何だろうか?確認のた

    ガッチャマンと0テスター - 氷川竜介評論集
    prisoner022
    prisoner022 2006/12/06
    巨大ロボットアニメとは怪獣もの変身ものメカものなど特撮作品が世代がわりするときに生んだ新しい進化の形態で、様々な「受け」の要素を複合したジャンルである
  • 氷川竜介評論集: 長浜忠夫がもたらしたもの --巨大ロボットアニメの飛翔--

    題名:長浜忠夫がもたらしたもの --巨大ロボットアニメの飛翔-- ◆長浜忠夫版ガンダム? 時に1979年。富野監督による『機動戦士ガンダム』は、第1話からアニメファンの注目を集めていたものの、視聴率不振で玩具も売れず、途中から路線変更になった。Gアーマーなるパワーアップメカの登場や、モビルスーツの新型が続々投入されるようになったあたりである。 この頃、アニメファンの間ではガンダムの行く末についてあらぬ噂が横行した。第26話で全員特攻して終わり、なんてのが典型だ。 明らかによくできたガセネタの中に「第27話で総監督が交替して長浜忠夫になる」、というのがあった。大笑いしながら、富野さんじゃなくて長浜さんがやるとどうなるのかなぁ、とバカ話に興じたものだ。 ――ギレンとドズルのザビ兄弟が物語の冒頭、自慢のモビルスーツを闘技場コロニーに出し、デギン公王を招いて御前試合をする。デザインはブッちゃんこと

    氷川竜介評論集: 長浜忠夫がもたらしたもの --巨大ロボットアニメの飛翔--
  • サンライズ・スタジオ早見表

    H17.05.13:試作  H20.08.09:改訂 ※管理人の分かる範囲の情報でまとめたものですので、確定情報ではありません。 ※※特に97年度以降は自信なし。間違いにお気付きの方は、ぜひ掲示板までご指摘ください。 1994年度以前 1995年度以降 2000年度以降 富野作品 非富野ガンダム スタジオ状況

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