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■ この評論には二つの目的がある。まず第一に、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提示し、それを受けて稲葉振一郎が『「公共性」論』などでより広い意味で用いた「動物」という概念を、そこに含まれるネガティヴなイメージをむしろポジティヴなものとするためとして「ゲーマー」という概念に置き換えること。稲葉の言う「動物」とは、「慣習や制度などの人々を取り巻く人工的な環境」*1である「社会システム」を「自然」として体験する主体のことを示している。だが、その体験とは、「動物」という言葉からは本能的な、受動的なものとして捉えられる。塚田氏はそれを否定し、自ら合理的に判断し、あえて「社会システム」に従う道を選んだ主体として彼らを「ゲーマー」と名指す。 評論の後半では宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』との接続が行われる。彼が提示する「決断主義」という物語ムーブメントを「(東が提示する狭義の)動物」ではなく「ゲーマー
S-Fマガジン 2008年 03月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/01/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (9件) を見る耳をすませば [DVD] 出版社/メーカー: ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント発売日: 2002/05/24メディア: DVD購入: 13人 クリック: 426回この商品を含むブログ (420件) を見る 久々に部室に入ると、Bさんのパソコンの前に、汚いメモが置いてあった。 「ちょ、Bさん、なんですか、これ!? すっごいいろいろ書いてありますけど、全然読めないですよ?(笑)」 B「ああ、それね。うん、ちょっとね、『耳すま』について考えてみてさ」 「あー、Bさんの好きな『耳をすませば』ですね。でも、こんなに何を考えたんですか?」 B「聞きたい?」 「はい」 B「じゃあ話そうか。いやね、またAがうのもえでさ」
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