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  • ふでやすめ | 富野由悠季のつむぐ神話

    「癒し、祈りとしての神話」 『神話が考える ネットワーク社会の文化論』 福嶋亮大より。 昨日は、固着したリンクをゆるめてもう一度神話を想像力の領域へ埋め込むというリンクの再処理についてみました。 昨日までで「Ⅰ リンクと想像力」は終わりです。まとめますと ・アニメーションはリンクの芸術である ・リンクとは「目つき」や「ほほえみ」といった志向性、関係性である ・ネットワークではリンクは自動的に発生してしまう ⇒ 豊富にある ・アニメーションではその豊富なリンクに注意力を与え、超越的な絆へと変化させる(契約、約束といった法的語彙の使用) ・リンクが豊富になると、注意力は減る ・リンクはやがて固着し、コモディティ化する ⇒ 多様性、自律性が失われる ・ゆえにリンクをゆるめて、再度、想像力(豊富性)の領域へと埋め込む「場を変える神話」が必要となる といったところでしょうか。 Ⅱ 喪の作業 富野由

    prisoner022
    prisoner022 2010/06/07
    『∀ガンダム』はガンダムシリーズを自己批判するのではなく、ガンダムシリーズのさまざまな傷やダメージを癒し、そこから感情的な固着を解き放つ「喪の作業」だった
  • ふでやすめ | 母性のディストピア

    「高橋留美子の『重力』を超えて」 「ゼロ年代の想像力」宇野常寛から。 著者は、東浩紀は「母性の暴力」とでもいうべきものに関してあまりにも無頓着だと指摘します。 東が高く評価する『新世紀エヴァンゲリオン』においても「すべてを飲み込む肥大した母性」が直接的に扱われ、『AIR』においてもヒロインとその義母の関係が至高のものとして描かれ、たびたび言及される『うる星やつらビューティフルドリーマー』においても敵を排除し、味方を胎内に取り込んで逃がさない、という「母性の重力」が描かれているにも関わらず、東はそれらをほぼ完全に無視している、とのこと。 この時代に決定的な影響力を持った批評家(=東浩紀)が、父性の抑圧を語りながらも、母性の抑圧には無防備だったという事実から、新たな分析を始めるべきだ、としています。 著者は、現在、この母性のディストピアというテーマにもっとも肉薄しているのは高橋留美子だと指摘し

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