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ブックマーク / www.nextftp.com (10)

  • シャクティから碇ユイへ----アニメ地母神の系譜を振り返る(汎適所属)

    若手評論家・宇野常寛さんの次のお題は“母性のディストピア”らしい。 これはモロ私好みのお題なので、予習がてら、今のうちに色々考えてみたいと思う。 母性のディストピアと呼ぶべきか・地母神の呪縛というのが適当なのか、それともファリック・マザーやグレートマザーに傅く平和と呼ぶべきか。まぁ呼び方は何でも構わないが、ともあれ、この手の太古的な母子関係は現代のメンタリティを理解するうえで欠くことの出来ない視点だと思う。宇野さんの思惑とは異なるかもしれないが、少なくとも団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代までの世代を理解するうえで、この手の母子関係は最も大きな取っ掛かりに違いない。 この母性のディストピア・地母神の呪縛を理解するうえで、『Vガンダム』~『新世紀エヴァンゲリオン』の系譜、シャクティとマリア主義→碇ユイの系譜を振り返ることは非常に示唆的だと思うので、テキストでは、それを振り返ってみたいと思う。

    prisoner022
    prisoner022 2008/10/14
    そういった連中を指さして、カテジナは「自分を全肯定してくれる、強くて優しい妄想美少女に萌え狂ってるんじゃねーよ、バーカ!」と笑い飛ばしたわけだ。
  • 消えた「オタッキー」――オタクを指し示す言葉の栄枯盛衰(汎適所属)

    (2008年9月21日に調査) このように、インターネット上においてはカタカナ表記の「オタク」が圧倒的に普及していることが確認出来た。かつてオタクを指し示す際の正式な記法と看做されていた、ひらがな表記の「おたく」は、既にカタカナ表記の1/2~1/4の頻度しか占めていない。とはいえ、まだまだ死語というほどではない。だが、かつては流行語にまでなっていた「オタッキー」のほうは、見る影も無いほど使われなくなっている。 使用頻度という観点からみる限り、「オタク」が優勢で「おたく」がそれに続き、「オタッキー」は殆ど死語になっている、というのが2008年現在の状況と考えて差し支えなさそうだ。。 【田舎出身の一人のオタクからみた、個々の単語のニュアンス・頻度の経時的変化】 続いて、これらの単語が実際にどのように用いられてきたのかを、田舎育ちの1970年代生まれのオタクの一人として振り返ってみたいと思う。た

    prisoner022
    prisoner022 2008/10/01
    「おたく」という言葉が否定的なニュアンスを帯びている状況下において、むしろ肯定的なニュアンスをもった例外的存在、という意味合いで「オタッキー」という言葉が登場したというのは興味深い。
  • 石川遼さんと浅田真央さんを「理想の子ども」とし過ぎることへの懸念----文科省が、無神経でなければ良いのだが(汎適所属)

    【石川遼さんと浅田真央さんを「理想の子ども」とし過ぎることへの懸念----文科省が、無神経でなければ良いのだが】2008/04/13 今の日社会で子どもが置かれている立場や期待されているモノが何であるかを端的に示す出来事があったので、文章にして書き留めておくことにする。日刊スポーツのネット版記事によれば、09年度から改訂される学習指導要領のPR小冊子「生きる力」に、「学力だけでなく人間性や体力など、変化の激しい現代社会を生き抜く力を備えた著名人」として、石川遼さんと浅田真央さんの直筆文を載せたのだという。 確かに、石川遼さんと浅田真央さんは、学力だけの人間ではないし、人間性や体力の面でもタフのようにみえる。世界に対して立派に花を咲かせる人材だと言えるだろう。学習指導要綱を読む大人達からみて、この二人が理想化しやすい子どもであることは論を待たない。 しかし日刊スポーツの記事のなかで、文科省

    prisoner022
    prisoner022 2008/04/14
    URLを見たら「asadamao.htm」になっていて石川君は実はダシだと気づいてしまいました。真央ちゃん好きにして、あえてこの文を書くshirokumaさんはさすがです。これはマジでいい話。
  • オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達(汎適所属)

    オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達 ――オタク趣味に後ろ向きだけど、すがりつかずにはいられないという矛盾―― 【はじめに】 Zさん(仮称)はオタク趣味人としてハイレベルな知識と経験を持った、手強いオタクさんである。専攻はコミック分野・洋物ファンタジーあたりだろうか。一方で、東洋思想や西洋哲学、宗教学などへの造詣も深く、オタクな話題を交換する時にもそれらを交えた芳醇な視点を提供してくださる方である。 このZさんと話をしていた時に、興味深い台詞が出てきてハッとさせられた。 「世に言うオタの人達は、生業としている仕事や全人格的なモノ※1を帰属先とせず、趣味の分野でアイデンティテイを形成しているのかしら? 」 ああ、オタク趣味やサブカルチャーにアイデンティティ・自己実現感を依存している人があまりにも周囲に多すぎるせいで、Zさんのようなオタクさんが存在していることをすっか

  • メンタルヘルスの観点からみて、限界に達しつつある日本型ポストモダン社会(汎適所属)

    1.メンタルヘルス上のリスクの、今日的増大 メンタルヘルス上の問題や障害が後を絶たないという。実際、精神科や心療内科領域における受診者数は増加の一途を辿っている(→参考)。統合失調症・典型的躁病・psychotic depressionのような、生物学的にも深刻な障害が想定される疾患群に関しては増加がみられないものの、比較的軽い病像の抑状態やB群人格障害、摂障害などの増加は著しい。このテキストでは、現代社会の有り様が個人のメンタルヘルス全般にどのような負荷を与えてるのかについて考えてみる。日の津々浦々においてここまで精神科を受診する個人が増えている以上、これを個人の素養(特に生物学的/遺伝的素養)に由来した現象と考えるのは妥当ではなかろう。もっとマクロで統計的な、微弱にせよ広範囲なメンタルヘルス上の負荷が日全体にかかっていて統計的増加に繋がっていると考えるのが妥当ではないだろうか

  • DQNという個人の適応形態の再評価――public spaceにおける暴力の復権(汎適所属)

    【DQNという個人の適応形態の再評価――public spaceにおける暴力の復権】2006/07/05 (なお、このテキストは来2006年下半期に仕上げるべきテキストでしたが、どうしても忘れないうちに書きたくて書きました。) 1.はじめに このサイトをご覧になっている人なら、2chやブログの世界では既に定着しきっている“DQN・ドキュン”という言葉の意味をきっとご存じだろう。DQNとは、はてなでは、『不良や反社会的な人、ヤンキー系列の低脳な人間』とされており、2典plusでは『社会常識に欠けている者、または知性に乏しい者』とされている。重低音を大音量で流しながら威圧的な運転をする・混雑する電車のなかで寝転がって大声でゲラゲラ笑う・恫喝や暴力で問題を解決する、等が典型的なDQNのイメージだろうか。私の知る限り、DQNと呼ばれて疎まれる人達は、一般に、 ・他者への迷惑を顧みずに社会において

  • 補足:以後のファリック・ガールの取り扱いに関して(汎適所属)

    ちょっとここで断っておきたい。先のテキストでは仕事の面白さを紹介させて頂いた斉藤環先生のファリック・ガールという概念だが、以後のテキストではあまり取り扱わない予定なのだ。私は斉藤先生が書いた多くの事、例えばオタクの精神病理・葛藤の問題なんかはかなり参照しながら書いていく予定なんだけど、ひとつ、ファリック・ガールだけは色々あって切り離す事にしたのだ。 確かに、ナウシカやナムコのワルキューレのような、ファリック・ガールの定義をきっちり満たす女性キャラがオタク史のなかでも強い支持を得ていたのも事実だし、Power Dollsなどにもみられた“戦闘と美少女”なコンテンツがいつになってもなくならないのも事実だ。また、萌えという言葉が流通する前の時代(エロゲーならelf以前、漫画ならKLAMP以前の時代)において、コンテンツクリエイターとオタク達が、とりわけファリック・ガールに惹かれていた可能性につい

    prisoner022
    prisoner022 2006/06/19
    そしてこのテキスト群は、そういった頭のいい人達が何故か全然書いてくれない、格好悪くて身も蓋もない事を指摘する事を重要な目標のひとつとしている
  • オタクにみられる防衛機制(汎適所属)

    ・まず、防衛機制とは いきなりオタクにみられやすい防衛機制について語り出す前に、シロクマが知るところの防衛機制について、まだまだ不勉強ながらも極めて簡単な概略を呈示しておこう。 防衛機制とは、S.フロイトによって提唱された、精神分析の支える重要な概念(or着眼点)のひとつである。人間の生きる世界は、心の安寧や均衡を損ねるようなシビアな出来事に満ち満ちているが、そういった外界の出来事をナマのまんまでいちいち心に受け止めていては精神の安定を維持し難い。もしそんな事をしていたら、人混みで迷子になるたびに大パニックになり、家族が死ぬたびに病になりかねないし、嫌いな上司の姿を見るたびに恐怖で動けなくなってしまうだろう(この事は、防衛機制に障害が発生してしまった人においてリアルに確認出来る)。 だが人間の(特に意識されない)精神機能のなかには、こういった強烈な情動が意識に侵入してくるのを追い払う(或

    prisoner022
    prisoner022 2006/06/12
    「外界で起こった出来事によってもたらされるキツい情動によって、精神内界がグラグラしすぎないよう、情動の一部を簡易処理して意識から遠ざける機能を防衛機制が担っている」
  • オタクにみられる防衛機制、補償・投影(汎適所属)

    ・補償(または代償)(compensation) 行動目標がもとの目標から他の目標へと置き換えられることによって、その要求が多かれ少なかれ充足される防衛機制が、補償と呼ばれる。S.フロイトではなくアードラーとユングが言い始めた防衛機制ということもあってか、内容は逃避・反動形成・知性化・逃避などと一層重複しがちである。このため、ここまでに述べた幾つかの防衛機制と間違いなくオーバーラップしているのでご了承いただきたい。なぜ出所が違って重複している概念をわざわざ紹介するのか?それは、この補償(代償)という概念が似合う現象がオタク/非オタクを問わず広く認められるうえ、概念が分かりやすいためか比較的一般にも広く使われている印象を受けるからである。 補償の例はそれこそどこでも転がっている。いなくなった恩人の形見や嗜好を大切にすること・身体の自由が利かない人が小動物を飼うこと・スポーツが駄目な人が学業に

  • オタクの精神病理としての「劣等感や自己不全感など」(汎適所属)

    ・はじめに ここまで私は、萌えキャラ達の背負った宿命や萌えにおけるキャラクター⇔オタク間の、一方向的関係と、自己愛の回収手続きとしての“萌え”についてまとめてきた。さらに、サイトのあちこちに散らかるテキストで、彼らが持っている諸特徴について様々な方向からアプローチしてきた。脱オタ検討、一部ニートと一部オタクの共通性、萌えキャラや萌えの実体etc…こういった幾つかのテキストに共通するものを抽出すると、「自信の無さ」「傷つく事への敏感さ」「劣等感」という言葉に近いものが顕れてくると私は考え始めている。どこまで上手く「劣等感に近いソレ」を描写できるか分からないが、このテキストでは、その旨く表現しにくいソレを出来る限り表現してみようと思う。 繰り返すが、このサイトで取り扱う「オタク」は、世間から侮蔑される事に心を苛まれ、なおかつ内心では何とかしたいと思っているオタクであり、萌えに関する記述でも、

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