パトレイバーの内海課長といえば、作者本人が「一典型を作った」とも自負する、画期的なヴィラン(悪役)の一つで、何度もこのキャラクター自身が話題になっています(俺が拾ってるのかもしれん)。 その内海課長の「魅力」、特に作中で、各種の巨大組織を敵に回していきながら、部下を最後まで引っ張っていくその力はなんでしょう。ラノベ作家のSOWさんは、その魅力を「三国志」の劉備と比較して語ります。特に、部下の側から見たこの二人の魅力とは。
パトレイバーの内海課長といえば、作者本人が「一典型を作った」とも自負する、画期的なヴィラン(悪役)の一つで、何度もこのキャラクター自身が話題になっています(俺が拾ってるのかもしれん)。 その内海課長の「魅力」、特に作中で、各種の巨大組織を敵に回していきながら、部下を最後まで引っ張っていくその力はなんでしょう。ラノベ作家のSOWさんは、その魅力を「三国志」の劉備と比較して語ります。特に、部下の側から見たこの二人の魅力とは。
ちょっと前に 【「三国志」、日本での曹操人気、中国の人に経緯を説明するのは難しい… - Togetterまとめ http://togetter.com/li/910387】 というまとめを作りましたが、それが縁で?大物が回想ツイート!LOGINで三国志コーナー「三国時代」を担当、その後「三国志新聞」も手がけ、「三国志は『正史』が重要!」という流れを作ったといわれる地雷魚@Jiraygyo さんが、当時を振り返ります。 ほんの25年前ですが「当時は資料が『無かった』」という話など、さまざまに具体的な事例が挙がり、まるで三国志版「まんが道」か「アオイホノオ」…そこからさらに、吉川英治や横山光輝論にも。
404 NOT FOUND 指定されたページかファイルが見つかりません。 指定されたページかファイルは削除されたか、アドレスが変更された可能性があります。 MANTANWEBトップページへ戻る
» 【この発想はなかった】『三國志』×神奈川県警&横浜交通局の啓発ポスターがスゴイ! 曹操が席を譲り、呂布が駆け込み乗車を止めるのだ!! 特集 【この発想はなかった】『三國志』×神奈川県警&横浜交通局の啓発ポスターがスゴイ! 曹操が席を譲り、呂布が駆け込み乗車を止めるのだ!! 沢井メグ 2015年11月18日 2015年は、コーエーテクモの人気ゲーム『三國志シリーズ』発売30周年のアニバーサーリーな年! さまざまな企画があるなか、以前の記事で、『三國志シリーズ』の武将を使った「ポスター標語」が募集されている件をお伝えした。 ……のはいいのだが! 作例から、諸葛亮孔明「待ってください。その息子さんからの電話、罠かもしれません」と、ブッチギリのハイセンスぶりを発揮! この “孔明の罠” を越える標語が現れるのか……発表されたポスターで確認してみよう!! ・曹操が席を譲り、呂布が駆け込み乗車を止
中国オタク事情を連載している百元です。第8回は三国志に関する中国と日本のイメージの違い等について紹介させていただきます。 三国志は日本のコンテンツにおいてはある種の定番的な扱いとなっていますし、中国のオタク界隈でも日本における三国演義の人気の高さはよく知られています。しかし日本と中国では三国志に関する認識に諸々にちょっとした違いも存在するようです。 あの武将が中国だと美形枠に… 三国志には様々な武将が出ますが、中国でカッコ良いとされている武将、特に若い世代に人気が高い、女性人気が高い武将となるとまず趙雲、そして馬超が来るそうです。 趙雲に関しては日本でも人気武将の一人ですし中国におけるイメージは日本とあまり差はないと思われます。しかし馬超は日本よりも随分と良いイメージになっているそうです。馬超に関して日本では蜀の五虎大将ではあるものの、蜀に身を寄せてからはあまりパッとしないイメージもあるか
カンザキ🦋曹操とベン・ソロが好き @sosokan 赤壁敗戦で実質被害はたいしたことなかったとよく言われるけど、とんでもないな。曹操の精神的被害が甚大。赤壁以降ふっつりと荀彧に相談しなくなったのは、どう考えてもトラウマだろ……。赤壁直前まで無邪気な書簡送ってたのに。荀彧が失策したわけでもないし。 2012-05-24 19:11:44 お菓子っ子 @sweets_street 【RT】後漢の宰相曹操は南征して長江流域を平定し、内戦を終結させようと目論見ましたが赤壁の敗北で大きく頓挫して、長江流域を孫権と劉備に押さえられてしまいます。戦乱に疲れて太平を望んでいた曹操の支持者たちの失望は大きかったでしょう。この失望が曹操が赤壁で受けた最大の損害でしょうね 2012-05-24 19:43:56 お菓子っ子 @sweets_street 内戦と飢饉で経済が崩壊した後漢末。難民の群れが武装して賊
お菓子っ子 @sweets_street 前回はhttp://t.co/4yJIQbNHにて、董卓が緻密にして壮大な外交戦略で反董卓連合を封じ込めたところまでお話しました。今回は最終回。董卓が歴史の舞台から退場するまでの話です。董卓好きの皆様には辛いお話になると思いますが、どうかお付き合いくださいませ 2012-06-11 17:17:50 お菓子っ子 @sweets_street 経済政策の破綻と洛陽失陥で低下した求心力を回復するために、警察力と軍事力による恐怖政治に傾倒した董卓。その甲斐あって反撃に打って出る力を蓄えることに成功したわけですが、水面下で董卓に対する失望と反感が広がっていました 2012-06-11 17:29:27
お菓子っ子 @sweets_street 前回は董卓が反董卓連合軍の豫州刺史(豫州行政管区監察官)孫堅に敗北して、長安に退いたところまでお話しました。これから、長安に退いてからの董卓の内政政策についてお話しようと思います 2012-05-30 17:17:26 お菓子っ子 @sweets_street 董卓は孫堅軍との戦いの最中に、相国(首相)から太師(天子の師傅)に昇進。席次は諸侯王(貴族や皇族)の上とされました。節(軍事指揮権)を持つことは前に同じ。名実ともに漢帝国の第一人者となりました。皇太子や皇子が乗るのと同じ金華青蓋の車に乗り、天子に擬した衣服を身にまといます 2012-05-30 17:28:34
お菓子っ子 @sweets_street 董卓と地方に散った袁紹一派の緊張が高まる中、先に動いたのは袁紹一派でした。洛陽から逃亡した曹操が兗州の陳留郡で蜂起。陳留太守は(郡【県相当】の知事)曹操と袁紹の友人の張邈。兗州刺史(兗州行政管区監察官)は劉岱。いずれも袁紹の友人である周珌らが主導した人事。実にわかりやすいですね 2012-05-28 20:56:35 お菓子っ子 @sweets_street しばらくして、兗州管内の地方長官が一斉に蜂起します。曹操とあからさまに通じてた兗州刺史(兗州行政管区監察官)劉岱と陳留太守(郡【県相当】の知事)張邈、山陽太守袁遺、東郡太守橋瑁が蜂起。故郷の泰山郡で兵を集めていた鮑信も挙兵しました 2012-05-28 21:02:11 お菓子っ子 @sweets_street 豫州管内では、豫州刺史(豫州行政管区監察官)孔伷、陳王(国【県相当】を領土とする皇
お菓子っ子 @sweets_street それでは、今から政権を握った董卓の政治についてお話ししましょう。まず、吏部尚書(皇帝官房人事担当秘書官)周珌、侍中(皇帝の顧問官)伍瓊・尚書郎(皇帝官房秘書官補)許靖らに人事を委ねました。彼らに尚書鄭泰、相国長史(首相府官房長)何顒を加えたメンツが董卓の主要なブレーンです 2012-05-28 17:10:47 お菓子っ子 @sweets_street 董卓とそのブレーンたちは、人事の刷新を進めます。党錮の禁でパージされていた名士の荀爽を司空(副首相)、陳紀を侍中(皇帝の顧問官)、蔡邕を尚書(皇帝官房秘書官)、韓融を大鴻臚(外務大臣)に起用しました。皆天下に名高い名士で、董卓政権の目玉と言える人事です 2012-05-28 17:19:37 お菓子っ子 @sweets_street さらに、何進のブレーンだった新進気鋭の若手も抜擢を受けます。先に述
お菓子っ子 @sweets_street 今から、ある政治家の話をしようと思います。政治が混乱した時代に地方で実績を積み、政治改革しようと意気込んで中央に乗り込んで政権を握るも挫折して、ままならない現実をどうにかしようとあがくも行き過ぎたクリーンさの追及から世間に見放されて失脚し、後世に至るまで悪名を残した人のお話 2012-05-28 12:26:16 お菓子っ子 @sweets_street その政治家董卓の経歴をざっと述べますと、故郷は異民族の居住地に接した涼州は隴西の地。父は県尉(市警察署長)を務めた下級官僚。孝廉から高官になるようなエリートではありませんが、皇帝から直接任命された職なので、地方長官のスタッフで終わる大抵の地方豪族よりは出世しています 2012-05-28 12:35:30 お菓子っ子 @sweets_street そこそこ良い家柄の豪族の子として生まれた董卓は、若
(【4】第一章 張角4から読む) 「皇后が、巫蠱(ふこ)を行ってたとよ」 「以前は渤海(ぼっかい)王が、主上を呪詛したって聞いたけど、今度は皇后か?」 「最近可愛がられるのは、何(か)貴人(きじん・後宮での位)ばかりだから、きっとそちらを呪ったんだろうな」 「それじゃ、宋皇后は廃位だろうな」 宮廷内の醜聞が、巷にまで聞こえてきた。それは、後漢の末期的症状でもある。 「まさか、我らの人形が、皇后にまで出回ったわけじゃなかろうな?」 張角が黄帝の祭壇を拝みながら口を歪め、調子に乗った連中を呪って毒突いた。 「いえ、馬元義(ばげんぎ)のやつが」 応える張宝も、顔色が蒼くなっている。 「事が事だけに、ちょっとやそっとの賄賂(わいろ)では、もうすまなくなるぞ」 最初は、飾りの人形で人気を博した。ところが、不心得者がより収入を見込める巫蠱に手を出したのだ。呪いの呪文を心得ている巫女と組んで、桐の人形に
(【3】第一章 張角3から読む) 「黄帝を崇(あが)める我らの、聖色は黄ぞ。幹部たちの頭巾は、黄で統一しよう」 張角の命令で、太平道の是(これ)という物は、黄に塗(ぬ)られることとなった。それゆえ、大賢良師の座や患者に調合する薬の箱も、信者や患者の目印になる標識も、総て地色は黄になった。 「鉅鹿郡から地方へ布教に行った者らにも、このことはしっかり伝えて結束を保とう」 総本山的存在となった鉅鹿(きょろく)の大きな本部の周囲は、遠眼にもその色が際立って見える。すると、民間の一大勢力を好まぬ役人が、みだりに主上(皇帝の二、三人称)を表す黄を使うなと苦言を呈する。 「游侠など怖くないが、太守が郡兵を動かせば、太刀打ちは敵(かな)いませぬな」 腕に覚えのある張梁も、完全武装の強者を団体で相手にはできかねる。だが、張角は笑っていた。それでは、我が太守殿に挨拶に出向こうと、彼は翌日、馬車を仕立てて鉅鹿郡
(【2】第一章 張角2から読む) 符水(ふすい)の効果は思った以上で、考案した張角がかえって怖ろしくなるほどだった。 「黄帝の御利益(ごりやく)の水を呑めば、病なんぞたちどころに退散するんだとよォ」 このような評判から、鉅鹿(きょろく)にある張三兄弟の診療所と広場には、連日黒山の人集りができた。いや、もうその程度の形容では追いつかぬ程の群衆で埋もれたのだ。 ならば、普通の診療では押し寄せる人は捌(さば)ききれない。そこで廃墟の砦を修復し、使われなくなった操練場を買い取った。黄帝を祀る場所も、大木を組み立てて荘厳な演出を行い、張角が祈トウ(示/壽)すると、涙を流す年寄りまで現れだした。 いや、その程度ではすまなくなっていた。 「ちぇっ、どうせ喰わせ者だろうぜ!」 游侠(ゆうきょう)風の男が三人、因縁を付けにやってきた。彼らの目的は、恫喝して金銭をせしめることだ。腕に覚えのある張梁が、彼らと対
(【1】第一章 張角1から読む) 「病を得てからここへ来ても、手遅れということもある。日頃が肝腎なのだ」 「それじゃ、どうすりゃ?」 「導引の術で、完治した身体を動かすのだ」 「その術は、どうして会得するんで?」 「ここだ。我ら方士の張兄弟が教えてつかわそう。だから、隣近所も誘い合わせよ」 徐州から冀州(きしゅう)の鉅鹿郡(きょろくぐん)鉅鹿県へ帰った張角と張宝、張梁らは、日頃は商売のため持ち帰った薬草を調合していた。だが、少しでも暇ができると『太平清領書』を読み漁った。そこには導引の術の他、病気退散や雨乞いの祈トウ(示/壽)方法が事細やかに記述してあった。 だが、一番興味をそそったのは、最後の図解であった。そこが、問題の部分だ。 「ここを使うのは、よく考えてからだ。しかし、それ以外の所は、明日からでも使える」 張角は翌日から、不断は診療所に使っている道場の外に祠を建てて、そこに黄帝(こう
その日も、張角(ちょうかく)は弟の張宝(ちょうほう)や張梁(ちょうりょう)を連れて薬草を採りにきていた。 「実葛(さねかずら)の実は胃にも効くし強壮剤にもなるんだが、秋まで待たなきゃな」 張角が、この季節使い物にならぬと、せっかく見付けた蔓植物を呪うと、張宝が言う。 「兄貴。こっちにゃ、山査子(さんざし)の実がありますぜ。これで、胃薬に代用ができましょう。おっ、こんな所に油桐(あぶらぎり)もあらァ。だが、まだ種が採れねえ。もう二カ月も経ってから、来ますかねェ?」 「引っこ抜いて、俺たちの住処まで持って帰るんじゃ、いけませんかね?」 末っ子の張梁は鷹揚で、熱心に薬草を探す兄たち二人とは対照的だ。そんな末っ子に二人が文句を言わないのは、彼の腕っ節が強いからだ。だが、喧嘩を怖れているのではなく、周囲の見張りをさせるのに重宝だからだ。 張角と張宝の籠は、薬草で一杯になってきた。そろそろ山を降りよう
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く