2月7日(日)に放送された第5話では、織田信長の重臣滝川一益のセリフのなかで、信長によって「日の本から戦がなくなる」「北は奥州から南は九州まで、あらゆる大名が」信長に従う意向を示している、ということが語られていました。 これが学術用語にいう「惣無事令」(そうぶじれい)のことです。もっとも「惣無事令」というと、信長のあとに「天下人」になった羽柴(豊臣)秀吉のものが著名であること、信長の「惣無事令」については、一般にはまだよく知られていないことから、ここでは「惣無事令」という用語は出していません。視聴者の混乱が予想されるからです。それで、内容をセリフで紹介するという工夫が取られています。「惣無事令」の用語がセリフのなかに登場してくるのは、秀吉の時代に入ってから、しばらく後の回のことになります。 秀吉の「惣無事令」が発見されたのは、もう30年も前のことになりますが、信長の「惣無事令」については、
1月24日(日)に放送された第3話には、注目していただきたいことが大きく二つあります。 一つは、「国衆(くにしゅう)」という単語の登場です。真田家のような、戦国大名に従う立場にありながらも、独自の領地(領国)を有し、それを独自に経営している存在を、国衆と呼んでいます。いわば小規模な戦国大名のことです。この用語は、20年前頃から、私がそのような存在を表現するために用いてきたものですが、ようやく用語が一般化したということで、大河ドラマにも登場することになりました。 真田家だけでなく、すでに登場してきた木曾義昌・穴山梅雪(武田信君)・小山田信茂も、すべて国衆でした。彼らは武田家を「裏切り」したのですが、彼らにとっては自らの領地・領民の維持が至上命題でした。ですから滅亡してしまいそうな大名家からは離叛して、自らの存続を図るわけです。この後、真田家は存続をかけて、次々と従う大名を変えていくのですが、
1月10日(日)に第1話が放送され、ついに今年の大河ドラマ「真田丸」がスタートしました。 主人公は「真田信繁」です。これまで「幸村」と呼ばれてきた人にあたります。少し戦国史に馴染みのある方には、「幸村」のほうが通りがいいでしょうが、これは信繁が死んでから50年以上後の江戸時代前期に大坂で作られた物語で創作された名前です。ドラマでは、正しく「信繁」の名前でいくのですが、そこにできるだけ史実を尊重するという、制作側の姿勢が示されています。 第1話・第2話で注目していただきたいのは、武装した百姓たちの存在です。1話のラストに登場し、2話では真田一行を襲撃します。その腰には、太刀と脇差しの大小2本の刀が指されています(全員とはいきませんでしたが)。普通、百姓は丸腰と思われていますが、それは間違いです。 明治の廃刀令まで、百姓は江戸時代でも脇差しは指していました。これが当時の1人前の成人男子の指標だ
■一週間で大きな方針転換組体操の規制をめぐって、ついに国が動き出した(2月5日「馳文科相、『組み体操』中止を検討」産経新聞)。 インターネット上で2014年5月に組体操事故問題に火が付いてから1年10ヶ月。文部科学省は静観の態度を貫き続け、さらにはつい先日の1月下旬の時点でも、「文科省としては独自調査や規制はしない」(1月29日『東京新聞』)ことを義家文科副大臣が表明したばかりであった。それだけに、突然の方針転換と言うことができる。 いったい何が、文科省に方針転換を決断させたのか。その背景に迫った。 ■「学校独自に判断すべき」から「文部科学省として取り組むべき」へ上述の「独自調査や規制はしない」という説明は、副大臣オリジナルの主張ではない。 前文部科学大臣である下村博文氏は在任時に、「それぞれの学校が独自に判断されること」[注1]と述べ、また現在の大臣である馳浩氏も「文部科学省が全て上から
2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板 http://ikura.2ch.net/sengoku/ 241 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/11/06(火) 21:08:24.01 ID:y9u1DvmK さてさて天正10年(158582)、皆さんご存知、本能寺の変である この時徳川家康は酒井左衛門尉忠次、植村右衛門佐ばかりがお伴して、堺を見物し、 これを茶屋四郎次郎が案内として付いていた。 そんな堺の家康のもとに、本多平八郎忠勝は本能寺の変を聞きつけるや否や直ぐ様 駆けつけた。 そこでは家康は「この少人数で三河まで引き上げるのは不可能だ。ここで切腹する!」 と決意していた。 ここに忠勝進み出て 「仰るように、どの道も本道は皆、敵中であると考えるべきでしょう、しかしながら ここで殿が御自害なさる事ではござらぬ。
「獲得による普遍化」という解決──センのアプローチをどう読むか 松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』 経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#セン ここまでのところで、流動的人間関係にふさわしい政治哲学を探求する中から、リバタリアン思想の内部矛盾を解いてそれを徹底することを試みました。 その結果、理性や主義主張や制度などが暴走して人間を犠牲にすることを防ぐには、「自由」の主体は第一義的には理性ではなく、あくまで生身の個々人でなければならないということに至りました。 すなわち、本能や肉体や感覚を持って具体的な暮らしや労働の現場で生きている「感性的個人」でなければならないということです。しかしこの個々人が、互いに矛盾、対立しあわずに、望む通りに自由が実現できることはどうしたら可能なのでしょうか。 そこで前二回はマルクスの解決を見ました。暮らしや労働の現場で生きている「感性的個人」
「日の丸を背負う」という意味がどういう意味なのか、「日本」という国がどういう国なのか、知らずに世界大会に出るのはいいのだろうか。
世界最高クラスのリーグであるスーパーラグビーへ今季から参戦する日本のサンウルブズが、2月8日、ついに本格始動。愛知・トヨタスポーツセンターでの全体練習を公開し、マーク・ハメット ヘッドコーチ(HC)は「皆の熱意があったのはよかった」と振り返った。 この国最初のスーパーラグビークラブであるサンウルブズは、2月3日に都内でメディカルチェックを開始した。他チームよりやや短い約4週間での準備で開幕を迎えるが、「どんどん選手とコミュニケーションを取っていく」とHO堀江翔太。2月7日の夜に愛知県内のホテルへ集合して本格的な合宿をスタートさせ、「海外から来た選手も日本語でのラインアウトサインを覚えようとしていて、いいですよ」と前向きな談話を発信する。 「早くチームのラグビーを選手同士で理解して、(若手などに)アドバイスできるところはしていきたい。そのために、わからないことはほんの些細なことでも(首脳陣に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く