――中村さんはいつごろからプロ棋士を目指したのでしょうか。 羽生(善治)さんが7冠を達成されたときですね。小学校2、3年かな。プロになるには、まず奨励会という養成機関に入らなくてはいけない。そこを受験して合格はしたのですが、中学や高校通いながらの奨励会生活なので、うまくいくときもあれば、いかないときも……。そもそも親は奨励会入りに反対でした。 プロ棋士になるのは難しい。なれたとしても、勝負の世界なので生活は安定しない。親としては当然否定的になります。でも僕は「やっぱりやりたい」と譲らなかったんで、最後は「そこまでやりたいんだったら応援する」と。そのときの条件が「大学まで行くこと」だったんです。 「もっと強くなりたい、羽生さんみたいになりたい」という一心でした。現実の厳しさはわかっていたつもり。しかし、振り返ってみれば、そうではなかった。全国からえりすぐりの子供たちが集まってくるのが奨励会。