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ブックマーク / newspicks.com (41)

  • 南場智子がほれ込んだベイスターズ新社長、華麗な経歴(前編)

    東京大学から同大学院を経て、官僚としてキャリアを積んできた46歳。南場智子オーナーが絶大な信頼を寄せているという岡村新社長とはいったいどんな人物なのか。 野球ビジネスへの転身について「ラッキーだと思った」という岡村氏の少年時代から現在に至るまでの歩み、そして、官から民への転身の決断について聞いた。

    南場智子がほれ込んだベイスターズ新社長、華麗な経歴(前編)
  • 「横横ベイスターズ」が実現。球団と行政のWin-Win関係

    2016年4月27日、横浜DeNAベイスターズと横須賀市は、ベイスターズのファーム施設の移転・強化に関する基協定を締結したと発表した。

    「横横ベイスターズ」が実現。球団と行政のWin-Win関係
  • 【新】ノーベル賞経済学者クルーグマン、黒田日銀に物申す

    2016/5/23 独自の視点と卓越した才能を持ち、さまざまな分野の最前線で活躍するトップランナーたち。彼らは今、何に着目し、何に挑もうとしているのか。連載「イノベーターズ・トーク」では、イノベーターが時代を切り取るテーマについてトークを展開する。 マイナス金利付き量的・質的金融緩和は、中央銀行の歴史上、最強の金融緩和スキームだ──。 4月13日、日銀行の黒田東彦総裁は米ニューヨークのコロンビア大学で行われた講演でそう述べ、デフレ対策のために現在の金融緩和策は妥当であること、2%の物価目標達成のためには追加措置もいとわないことをアピールした。 だが、足下の日経済は、一向に上がらない実質賃金、円安どころか円高に振れた為替、乱高下する株価に直面し、日銀の金融政策に対する風当たりは、かつてよりも強くなっている。 NewsPicksでも特集「アベノミクスの天王山」にて、賛否両論含む有識者の声を

    【新】ノーベル賞経済学者クルーグマン、黒田日銀に物申す
  • 【最終回】日本サッカーの限界を壊せ

    2016/4/30 もったいぶる必要はなかったかもしれない。コメント欄で多くの方たちがあげていたように、日サッカーの破壊と創造を一気にできるのは、現時点では田圭佑しか思いつかない。 なぜなら衝突をまったく恐れていないからだ。 2011年12月、Numberの取材で「コミュニケーション論」というテーマで直撃したとき、田圭佑はこう語った。 「まず言いたいのは、一般の人にとって“衝突”に見えたとしても、自分に取っては衝突でも何でもないってこと。むしろオレにとって、衝突を避けるのは、相手にこびていることにしか思えない。音を言ったことで、何かが起こると恐れている……というようにしか見えへんから。それを言ったところで何も起こらへんのに、むしろ相手のためになるのに、当のことを言ってあげない。オレから見たら、そんなものは何の改善もされへんコミュニケーションでしかないよね」 ──多くの人が、人間関

    【最終回】日本サッカーの限界を壊せ
  • 日本野球に危機感を抱き、DeNA筒香を世界に導いた男

    2016/4/28 「今やっていることが、5年後、10年後に生きてくると思う」 そう語って昨年オフ、未来のメジャーリーガーが集うドミニカ共和国ウインターリーグに参戦したDeNA・筒香嘉智を、最も近くで見守った日人がいる。 阪長友仁、34歳。現地コーディネーター兼通訳として10歳下の筒香を陰で支えた彼の経歴は、少し変わっている。 会社を2年でやめ、世界へ 高校時代は大阪から新潟明訓に進学して甲子園に出場、立教大学では野球部の主将を務めるなど学生野球の第一線で活躍した。 ところが旅行会社に2年間勤めた後、一念発起してスリランカ、タイ、ガーナのナショナルチームのコーチ・監督に2年間携わる。 2008年から青年海外協力隊(JICA)としてコロンビアで野球指導。2011年からJICAの企画調査員でグアテマラの国際協力分野に3年間従事した。 そんな阪長を突き動かしたのは、日球界への危機感だった。野

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  • メジャーに最も近い打者・DeNA筒香の「非日本的」取り組み

    2016/4/21 横浜DeNAベイスターズの4番を打つ筒香嘉智は、今や日を代表するバッターとして注目を浴びている。 侍ジャパンでは4番を務めるなど、日人打者では「メジャーリーグに一番近い男」とさえいわれるほどだ。 とはいえ、筒香は横浜高時代に通算68塁打を放つなど注目された選手の一人だったが、プロ入りしてすぐに1軍のレギュラーとして活躍したわけではない。 プロ入り2年目の2011年にシーズン8塁打を打ったくらいで、初めて打率3割を記録した2014年までは、伸び悩んでいる印象の一人だった。 それが、昨季は打率、塁打、打点ともにキャリアハイだった2014年のさらに上を行く数字を残している。 なぜ彼は、2012年以降の4年間で変わることができたのだろうか。 「2014年に出した(キャリアハイの)成績は突然に何かが起こったものではありません。以前から取り組んできたことがあったので、それ

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  • 権威ある人間が、自ら権威を破壊。ドイツサッカー覚醒の理由

    2016/4/29 今、サッカー界で最もイノベーティブな取り組みをしている国は、間違いなくドイツだ。 ドイツサッカー協会は学校・クラブ・地元サッカー協会の三者の連携を重視しており、それがうまくいっているところを「エリートシューレ」(エリート学校)として認定して資金援助している。 たとえばシャルケのホームスタジアムのすぐ横にある「ゲザムトシューレ・ベルガー・フェルト」は世界最強の育成校だ。ドイツが2014年ブラジルW杯で優勝したとき、そのメンバーに同校の卒業生が4人も名を連ねていた(ノイアー、ヘベデス、エジル、ドラクスラー)。 同校のプロサッカー選手を目指す生徒は、週に3回、午前中の授業が2コマ免除され、その時間にサッカーの練習をすることができる。教えるのはシャルケの指導者たちだ。 最大の特徴は「育成コーディネーター」が学校に常駐していること。選手が練習と勉強を両立できるように、彼らが時間割

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  • 日本サッカーの走り方の誤解。地面を蹴ってはいけない

    2016/4/26 日サッカーに「何かが足りない」ことを雄弁に語った試合がある。2001年3月、パリ郊外のサンドニで日がフランスに0対5で敗れた試合だ。 雨によってピッチが滑りやすく、日の選手が足を取られたのに対して、フランスの選手たちは重馬場をもろともせず軽やかに走っていた。まるで水面の上を飛び跳ねているかのように見えた。 特に衝撃だったのは、ジダン(現レアル・マドリード監督)だ。ピッチが柔らかい場合、通常はグリップ力に優れた「取替式」のスパイクが好まれる(スパイク裏の凸部分のスタッドが長い)。 しかしジダンは「固定式」(凸部分が短く、足への負担は少ないがグリップ力に劣る)を履いて悠々とプレーしていたのだ。 「自分たちは取替式を履いて滑っているのに、ジダンは固定式でまったく滑っていない。この差は何だ?」 試合後、イタリアでプレーしていた中田英寿を除き、多くの選手が疑問を口にした。中

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  • 世界最強クラブとの別れ。そして今も脈打つバルサのエッセンス

    2016/2/2 「会うは別れの始め」という言葉がある。 FCバルセロナを愛してやまなかった斎藤聡は、2004年にアジア人で初めてクラブのフロントに入ることに成功する。そして、国際マーケティング部の一員としてクラブにあふれんばかりの愛情を抱き、国際化戦略に尽力した。 ところが、2006年にバルセロナの地を離れるときがやって来る。 愛するクラブとの間に訪れた別れの理由、そして日サッカー協会(JFA)で働く現在に、世界最強クラブの改革と国際戦略のエッセンスがどのように生かされているかが明かされる。 前編:バルサに入った初の日人。早朝4時のタクシー面談で採用をつかむ 中編:「変わるか、死ぬか」バルセロナを世界最強クラブに導いた大改革 斎藤 聡(さいとう・さとし) 1974年生まれ。アメリカ・ミシガン州で育ち、慶應義塾ニューヨーク学院から慶應義塾大学に進学。卒業後に伊藤忠商事に入社し、料関連

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  • 「変わるか、死ぬか」バルセロナを世界最強クラブに導いた大改革

    2016/1/26 現在、世界最強のサッカークラブとして君臨するFCバルセロナは2000年代当時、300億円にも上る巨額負債を抱えていた。 破綻寸前に陥った名門クラブは、スター選手をそろえたライバルであるレアル・マドリードの栄華を横目で眺めるだけ。成績も低迷し、出口の見えない中でもがき苦しんでいた。 しかし、暗黒時代の真っただ中だった2003年に転機が訪れる。クラブ会員(ソシオ)による選挙で、新会長が選出され経営陣が刷新されたのだ。 新経営陣の就任を機にクラブの赤字体質は一気に解消され、成績も急速に上向くことになる。不振を極めていたバルサが、現在の黄金期に至る大改革をいかにして成功に導いたのか。アジア人として初めてクラブのフロントに入り、このプロジェクトに深く関わった斎藤聡が、FCバルセロナを世界最強クラブへと進化させた経営メソッドの全貌を明かした。 前編:バルサに入った初の日人。早朝4

    「変わるか、死ぬか」バルセロナを世界最強クラブに導いた大改革
  • バルサに入った初の日本人。早朝4時のタクシー面談で採用をつかむ

    2016/1/19 かつて、FCバルセロナのフロントに在籍していた日人がいる。 バルサといえば、100年を超える歴史を持つスペインの超名門サッカークラブだ。現在所属しているメッシをはじめ、クライフやマラドーナ、ロナウジーニョなど、一時代を築いた名選手を擁してきた。昨年12月には、日で行われたクラブW杯で優勝。現在は、名実ともに世界ナンバーワンクラブとして君臨している。 当然ながらフロントに入ろうとしても、世界の精鋭たちが押し寄せるような狭き門だ。ところが、並大抵のことでは仕事を得られないトップクラブに、2004年に斎藤聡がアジア人として初めて足を踏み入れた。 異国スペインの地で、いかにして職を射止めることができたのか。UEFAチャンピオンズリーグ放映権とスポンサー権利セールスのアジア・パシフィック&中東・北アフリカ地区統括責任者を務める岡部恭英が話を聞いた。 斎藤聡(さいとう・さとし)

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  • ガラパゴス化する日本スポーツの「技術」。なぜ世界で勝てないか

    2016/2/5 世界最高峰と比べて体格に劣る日のスポーツ選手にとって、競技をするうえでの「技術」は生命線だ。 しかし今、身に付けている技術は果たして当に正しいものか。“ガラパゴス化”していないか。 近年、多くのスポーツが急速に国際化する中で、日が取り残されつつあるのではないかと危惧を覚えた。 専門家がスキルアップを担当 きっかけを与えてくれたのは、日の男子バスケットボールトップリーグNBLトヨタ自動車アルバルク東京に在籍する森高大コーチだった。今季同チームに加入した彼の役職は「スキルコーチ」という、競技に詳しくない人にとってはやや耳慣れないものだ。 森氏のスキルコーチとしての役割を端的に言うと、通常のチーム練習ではカバーしづらい部分を練習外で補うことだ。一様にバスケットボール選手と言っても体格や得意なプレーが異なるため、それぞれに練習すべきスキルも変わってくる。 しかし全体練習

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  • なぜ米国に体罰が少ないのか。日本中に伝えたい名コーチとの会話

    2016/1/31 私には、「日のスポーツ界の危機、そしてその問題点を、日の国民、特にスポーツに関わる人達に伝えなくては!」と思った出来事・瞬間がいくつかある。今日は、まず、そのうちの一つを、読者の皆さまにシェアしたい。 D. J. Durkin(以下、DJ)というコーチがいる。 彼とは、ここスタンフォードで3年間、一緒に仕事をさせてもらった。確か、4つも5つも年下であるが、彼からはコーチとして、数え切れないほど多くのことを学ばせてもらった。彼のコーチング・スタイルを一言で表すなら、それは「熱血」である。 「大きな声で熱心に指導」が基姿勢であるが、言葉や声のトーンの強弱をうまく使い分ける、言葉の魔術師のような指導者である。特に怒ったときには、身振り手振りを駆使し、大きなアクションで、その怒りをプレーヤーに伝える。怒られている当事者でない私でさえ恐怖を感じるほどである。 「烈火の如く怒

    なぜ米国に体罰が少ないのか。日本中に伝えたい名コーチとの会話
  • 根性論では世界で勝てない。日本スポーツに足りない指導者の交流

    2016/1/17 読者の皆さま、明けましておめでとうございます。あと、わずかに4回、このあいさつをさせていただけたとしたら、それはもう東京でオリンピックが開催される年であります。 日のスポーツの未来について、期待と不安が入り混じる、いや、私としては不安が多めの新年でありますが、今年もこの連載を、よろしくお願いします。 変わらない高校野球の美談 私がこの連載を始めようと考えて動き出した2015年の夏、ちょうどその頃は、日の夏のスポーツ・シーンを象徴すると言っても過言ではない、高校野球の時期であった。 何を隠そう私も昔は高校球児であり、今でも、時間があれば、日米およびレベルを問わず、野球観戦に出かけるほどの野球好きである。 日の夏には、あらゆるメディアを通じて高校野球の情報を得ることが可能なわけだが、その中の一つに、衝撃的なものを発見した。 その特定の記事、そのケースに驚かされたという

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  • まずは隣人を味方につけよ。サッカー界とラグビー界のアジア戦略

    2016/1/15 W杯の母国開催を3年後に控えた今、日のラグビー界は自らの可能性をいかに広げていくべきなのか。2015年のW杯イングランド大会における日本代表の躍進をGMとして支えた岩渕健輔が、各競技のキーパーソンとの出会いを通して、競技発展のヒントを探る。 今回は、FIFAの理事を務める日サッカー協会の田嶋幸三副会長が登場。国際舞台で活躍する2人が、競技の発展や代表チームの強化、統括団体におけるパワーバランスまで、スポーツ界の政治力学を語り合った(全4回)。 第1回:ラグビー日本代表GMとFIFA理事が明かすスポーツの政治力学 第2回:民主的な制度が腐敗を生むスポーツ界の不条理 田嶋幸三(たしま・こうぞう) 1957年11月21日生まれ。熊県出身。1980年に筑波大学を卒業して、古河電工に入社。現役時代はFWとして活躍し、日本代表では国際Aマッチ7試合に出場。1983年から西ドイ

    まずは隣人を味方につけよ。サッカー界とラグビー界のアジア戦略
  • 民主的な制度が腐敗を生むスポーツ界の不条理

    2016/1/14 W杯の母国開催を3年後に控えた今、日のラグビー界は自らの可能性をいかに広げていくべきなのか。2015年のW杯イングランド大会における日本代表の躍進をGMとして支えた岩渕健輔が、各競技のキーパーソンとの出会いを通して、競技発展のヒントを探る。 今回は、FIFAの理事を務める日サッカー協会の田嶋幸三副会長が登場。国際舞台で活躍する2人が、競技の発展や代表チームの強化、統括団体におけるパワーバランスまで、スポーツ界の政治力学を語り合った(全4回)。 第1回:ラグビー日本代表GMとFIFA理事が明かすスポーツの政治力学 サッカー界から見たラグビー界 ──前回はサッカー界における政治やFIFA(国際サッカー連盟)のスキャンダルなどについてお話しいただきましたが、理事からご覧になると、ラグビー界の現状はどう映りますか。 田嶋:マッチメークは特に大変そうですよね。政治的な影響も大

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  • かつてはマイナースポーツ。サッカーが日本で普及した舞台裏

    2015/12/27 4年後にW杯の母国開催を控えるラグビー界にとって、最重要課題の一つになっているのが新たなファンの獲得だ。 1980年代に高い人気を誇ったラグビーは、9月に行われたW杯における日本代表の躍進によって再び脚光を浴びている。2019年に向けて強い追い風が吹き始めた今、いかにして人気を復活させるための道筋をつけるべきなのか。 日本代表のGMを務める岩渕健輔が、日スポーツ界を見続けてきた現役最年長のサッカージャーナリストである賀川浩との対談を通して、日ラグビーの可能性を探る。 前編:90歳の最年長サッカージャーナリストが見たラグビー日本代表 中編:エディー・ジョーンズと日サッカーの父。世界を見据えた指導者 若きクラマーを受け入れた柔軟性 岩渕:前回に続いて、(デットマール)クラマーさんの話を聞かせてください。当時の日サッカー界は、よく若いクラマーさんの指導を受け入れま

    かつてはマイナースポーツ。サッカーが日本で普及した舞台裏
  • エディー・ジョーンズと日本サッカーの父。世界を見据えた指導者

    2015/12/26 日のラグビー界とサッカー界には、選手たちを一気に世界のレベルに引き上げた外国人指導者がいる。 まずラグビー界では、日本代表の前ヘッドコーチを務めたエディー・ジョーンズが挙げられる。圧倒的な練習量をベースに選手を鍛え上げ、9月に行われたW杯イングランド大会で、強豪の南アフリカを破るなど一大旋風を巻き起こした名将だ。 他方、サッカー界でジョーンズに匹敵する功績を残したのが、往年のデットマール・クラマーである。今から半世紀以上前の1960年、世界のサッカー界をリードしていた西ドイツ(当時)から来日したコーチは、若き川淵三郎や釜邦茂の才能を磨き、東京五輪でのベスト8進出や1968年のメキシコ五輪における銅メダル獲得の礎を築いた。 ラグビー日本代表の指揮官にジョーンズを起用した岩渕健輔と、クラマーを来日当初から取材していた賀川浩が、2人の名将の功績を振り返る。 前編:90歳

    エディー・ジョーンズと日本サッカーの父。世界を見据えた指導者
  • 90歳の最年長サッカージャーナリストが見たラグビー日本代表

    2015/12/25 W杯の母国開催を4年後に控えた今、日のラグビー界は自らの可能性をいかに広げていくべきなのか。W杯イングランド大会における日本代表の躍進をGMとして支えた岩渕健輔が、各競技のキーパーソンとの出会いを通して、競技発展のヒントを探る。 第1回はサッカー界から最年長ジャーナリストの賀川浩が登場。2015年1月に日人として初めて国際サッカー連盟会長賞を受賞し、90歳の今も健筆をふるう日サッカーの生き字引とともに、ラグビーとサッカーという“2つのフットボール”の歴史を振り返る。 ラグビー日本代表は頼もしかった ──ラグビーのW杯イングランド大会から4カ月が経ちました。大会後、日では空前のラグビーブームが起きているわけですが、今、改めて振り返られてどうですか。 岩渕:私たちはベスト8進出を目標にしていましたから、それが達成できなかったのはすごく残念でした。でもチームの選手や

    90歳の最年長サッカージャーナリストが見たラグビー日本代表
  • ラグビー日本代表GMとFIFA理事が明かすスポーツの政治力学

    2016/1/13 W杯の母国開催を3年後に控えた今、日のラグビー界は自らの可能性をいかに広げていくべきなのか。2015年のW杯イングランド大会における日本代表の躍進をGMとして支えた岩渕健輔が、各競技のキーパーソンとの出会いを通して、競技発展のヒントを探る。 今回は、FIFAの理事を務める日サッカー協会の田嶋幸三副会長が登場。国際舞台で活躍する2人が、競技の発展や代表チームの強化、統括団体におけるパワーバランスまで、スポーツ界の政治力学を語り合った。(全4回) サッカーがラグビーに学んだ時代 ──田嶋さんはAFC(アジア・サッカー連盟)の理事などを歴任され、現在はFIFA(国際サッカー連盟)の理事も務めていらっしゃいます。一方、岩渕さんは日ラグビー協会の代表GMとして、やはり統括団体や各国との交渉に当たられてきました。今回の対談はスポーツの世界における政治交渉がテーマですが、お二方

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