このHPに書かれています内容は本郷洋一が書いたものです。 本文の無断引用以外の単純なリンクはフリーです。 このようなものこそインターネットで読者と共に少しずつ作り上げていくのに相応しいものだと思います。 願わくば、読者との麗しい協働が成功しますように。 掲示板が更新履歴になっています。先にそちらにザーッと目を通していただければ、いくらか読みやすくなります。 2007年2月 本郷 洋一Hongo Yoichi
This Page is Japanese Only. SINCE-2659.12.14 藤田兵器研究所 新刊案内 光人社より拙書「写真で見る海軍糧食史」が発売されました。書店で御覧いただければ幸いです。 画像は色校です。 謹賀新年 二六六八年 藤田兵器研究所へようこそ。 当研究所は大日本帝国陸軍の歩兵兵器を研究・紹介するホームページです。 当HP掲載の写真・図版類は、所長が収集した国軍の教範類を使用したもので、データー類も当時の状況を正確に把握することを目的として、国軍発行のオリヂナルスペックを紹介しております。 最終更新日-2008.1.7 「桜と錨」様のHP「海軍砲術学校」とリンク。 ★過去の更新 1.6 「研究所写真館」の「戦車室-1」で「試製重装甲自動車」を公開。 1.4 「研究所写真館」の「戦車室-1」で「試製軽装甲自動車」を公開。 1.2 「研究所写真館」の「戦車室-1」で
靖國会館一階にある靖國偕行文庫は、靖國神社御創立130年を記念して平成11年10月7日に開館しました。当文庫は、靖國神社に鎮まる英霊の戦歿された当時の調査資料を整備し、その御遺徳を顕彰するとともに、後世の研究に資することを目的とした図書館で、財団法人偕行社より建物と蔵書が奉納されたことから、この名が付けられています。 靖國偕行文庫には現在、靖國神社の蔵書を併せ約14万冊の図書資料が収蔵されています。神道関係の資料をはじめとして、蔵書の多くは戦史・戦記・部隊史・教程・教範類・英霊の追悼録・回想録等の日本近代軍事史関係資料です。 当文庫内には、閲覧室が設けられており、どなたでもこれら図書資料を利用することができます。 詳しくは「ご利用案内」をご覧ください。 靖國偕行文庫からのお知らせ・開館日スケジュール
ノモンハン事件関係の地名などをあれこれメモ。 それから、作成した戦場地図を掲載。 なお、停戦後の国境画定については別記事の地図参照。 <地形> ・ゴル:河川。ゴール。 ・ノル:湖沼。ノール。 ・~水:湖沼のうち淡水のもの。 ・~湖:湖沼のうち塩水のもの。 ・オボ:石積み。モンゴルの道祖神らしきもの。オボー。 ・スメ:廟。仏教寺院。 ・オーラ:山。「~オリーン・オボ」は「~山オボ」。 ・ウンドルルク:丘。 <一般地名> ・ノモンハン:ノモンハン・ブルド・オボ。ノムハン。ソ連側主張国境要点。 ・将軍廟:日本側前線司令部所在。ジャンジン・スメ。(ソ連側一部地図ではヨシマル付近に誤記) ・デブデン・スメ:ソ連側地図では満州領内ドロト湖北方12km付近だが詳細不明。しばしば将軍廟と混同。 ・ハロンアルシャン:阿爾山。温泉。日本側鉄道端末の一。ハンダガイ南東。 ・ハイラル:海拉爾。日本側鉄道端末の一。
ノモンハン事件後の外交交渉では国境線画定の交渉が行われました。 チタやハルピンでの会談の後、モスクワでの1940年6月の会談で一応の協定に達しています。範囲はボイル湖以東、アルシャンに至るまでのハルハ河流域です。ソ連側はアルシャン地区を対象とすることには難色を示したようですが、現に戦闘が行われた地域だとの日本側主張が通っています。 ただ、現地作業段階で、地図上にはあったオボが現存しなかったなどの問題から一時中断。最終協定は1940年8月15日、現地作業完了は同年10月15日にずれ込んでいます。 画定後の国境についてあまり良い地図が無いようなので、かなり適当ですが作図してみました。戦史叢書「関東軍(1)対ソ戦備・ノモンハン事件」収録の地図を基礎としています。なお、戦場の詳細地図は別記事参照。 ソ連・モンゴル側主張線は、戦史叢書において、日本側が鹵獲した地図によるとされているものを基本としてい
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