「桑田が1年目の時、軽い冗談で野手に転向したら、って本人に言ったんです。バッティングとフィールディングがあまりに素晴らしいんで。そしたらアイツ、マジでむっとした顔をし、『いや、ボクは絶対ピッチャー1本でやります』って」 これは30年以上前、原辰徳が『週刊現代』誌上で堀内恒夫と対談した際の発言である。当時29歳のタツノリは「桑田は若いけど放っておいてもやる人間。自分の世界をもう持ってますね。ボクの19歳のころを考えたらすごいと思いますよ」と巨人の新エースを称賛している。そう、沢村賞を獲得した背番号18は、あの頃まだ19歳だった。プロ2年目、前年わずか2勝からの華麗なる逆襲。「1987年の桑田真澄」は誰よりも輝いていた。 球界一のダーティヒーローだった 若い野球ファンには信じられないかもしれないが、当時の桑田は球界一のダーティーヒーローだった。80年代中盤、日本中を沸かせたPL学園の“KKコン
![原辰徳「桑田は若いけど放っておいてもやる人間」 “1987年の桑田真澄”、恐るべき19歳を振り返る【巨人コーチ就任】(中溝康隆)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4c6d85ccb46d383d2ed2f510f3077a1378614269/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnumber.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F6%2Fd%2F-%2Fimg_6db0961707d0beb1033135dcc4b41a2135780.jpg)