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【コラム】ソウルを狙う北の核・ミサイルは交渉テーブル上にない 2017年8月26日朝、江原道旗対嶺一帯で北朝鮮の短距離発射体が3発発射され、北東方向の東海(日本名:日本海)に250キロメートル飛んだ。 ところが、この発射体の正体をめぐって韓米の分析は食い違っていた。韓国軍は300ミリメートル改良型放射砲(多連装ロケット砲)と推定したが、米国は短距離弾道ミサイルとの見方を示した。 この発射体は後にミサイルだったことが判明したが、疑問が残った。この時の発射体をミサイルだとするには飛行高度が非常に低かったためだ。この発射体は最大飛行高度約40キロメートルを記録したが、一般的な弾道ミサイルだったら最大飛行高度70-80キロメートルになるのが普通だ。 一方、300ミリメートル放射砲だったとしても、従来の最大射程距離(200キロメートル)より50キロメートルも遠く飛んだことが疑問として残る。 この謎は
【コラム】李承晩・朴正煕の「成功の韓国史」抹殺する文政権の陰謀 中国の国家行事が開催されるたび、最高指導者が必ず行うことがある。歴代の指導者たちをたたえる言葉を述べることだ。昨年12月18日の改革・開放40周年における習近平・国家主席もそうだった。「毛沢東同志は中華人民共和国を建国し、トウ小平同志は改革・開放の歴史的決断を下した。江沢民同志は『3つの代表』思想で社会主義市場経済の目標を示し、胡錦涛同志は科学的発展観を通じて全面的な小康(物質的に快適な)社会の建設により理論的創造を成し遂げた」。 これらの賛辞はもちろん、「歴史解釈の権限」を独占している中国共産党の一方的な結論だ。それでも、このような発言が社会統合に役立つと彼らは信じている。では、韓国社会はどうだろうか。 韓国は中国よりも学問研究が自由で、討論を通じて異なる意見をよりうまく調整できる国だ。しかし、現実はそのようにできていない。
【コラム】韓国歴代大統領の不運は風水のせいなのか 金敦中が鄭仲夫のひげを燃やした時もこれほど若くはなかった ソウルにある朝鮮時代の宮殿「昌慶宮」と同時代の歴代国王たちが祭られている「宗廟」の間には今、栗谷路という大きな車道があり、この二つは地続きになっていないが、栗谷路を地下トンネルで通し、地上には歩道を造って、昌慶宮と宗廟を元通り地続きにする工事が現在、行われている。専門家の百家争鳴的な主張に振り回され、9年間にわたりあっちを掘り、こっちを掘りして来年やっと完成する。道路拡張費用を含めて完成までに854億ウォン(約85億円)かかる。昌慶宮と宗廟の間にはかつて、歩道橋があった。この歩道橋のおかげで人々は不便なく行き来していた。だから、昌慶宮などの入場者の便宜のため工事をしているわけでもない。 解放(日本による植民地支配からの解放=日本の終戦)後に栗谷路が造られて昌慶宮と宗廟が分断されたのだ
韓国の専門家「もし韓国軍が日本からレーダーを照射されたらより深刻な対応」 韓国軍「小さな北朝鮮船舶捜そうと精密なレーダー使った」と弁明 「自衛隊哨戒機はレーダーついていると知りながら接近」 日本側「分単位でレーダー照射」と主張 「韓国海軍駆逐艦が20日、石川県能登半島沖で警戒・監視任務を遂行していた日本の自衛隊哨戒機を火器管制用レーダーで照射した」と日本政府が主張している問題で、論点の中心となっている火器管制用レーダーは武器稼働と連動しているものだ。韓国海軍は通常、航海用レーダーを稼働させて運航しているが、特殊な状況では火器管制用レーダーを稼働させる。日本が問題提起した20日、韓国海軍はこの火器管制用レーダーを稼働させていた。 韓国軍関係者の話を総合すると、韓国軍は同日正午ごろ、北朝鮮の船舶が遭難したとの連絡を受け、火器管制用レーダー(MW08)の「対艦用モード」を稼働させた。一般航海用レ
壬辰倭乱を何度も謝罪した江戸時代の日本 【新刊】パク・サンフィ著『ソンビ、サムライ社会を観察する』(創批社) 10月10日から済州島で開かれる観艦式に日本の海上自衛隊が旭日昇天旗を押し立てて参加する問題を巡り、海自は韓国海軍と対立した末、不参加を通知してきた。両国は慰安婦動員や朝鮮人強制徴用問題でも、植民地支配の影を容易には取り払えずにいる。在日韓国人3世の学者として韓日両国を行き来しつつ学び、現在は中国の中山大学で東アジア交流史を研究している著者は、両国関係改善の答えを壬辰(じんしん)倭乱(文禄・慶長の役)後の朝鮮と日本の和解努力に見いだしている。1590年から1764年までのおよそ170年にわたり日本との間を往復した朝鮮のソンビ(学者・文人)が書き残した見聞記35件の記録を通して、著者は、朝鮮のソンビの対日認識が劇的に変化したことを確認した。その過程で両国の知識人が傾けた努力も本書に収
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