2018年7月18日のブックマーク (1件)

  • 足利義氏 | 歴史 | みかわこまち

    承久3年(1221)5月、ときの治天の君後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと起こした戦い、いわゆる承久の乱が勃発した。乱はわずかひと月ほどで終結し、幕府側がこの戦いに勝利したことで、はじめて武士優位な時代がおとずれた。そして、幕府は最重要拠点である三河の地に有力御家人足利氏を配置する。戦功を挙げた恩賞として三河守護職と額田郡、碧海荘、吉良荘の地頭職が足利義氏に与えられたのである。今から800年ほど前のことで、やがて吉良荘を拠とした義氏の子孫は「吉良」を名乗ることになる。のちに室町足利将軍家の特別な一門として重きを成した吉良氏800年の序章を辿ってみたい。 義氏の出自 義氏は文治5年(1189)、足利氏二代義兼の三男として生まれている。父義兼は世代的には源頼朝と同じで、頼朝政権に忠実に従い、頼朝の知行国であった上総国(千葉県)の国司である上総介を拝命している。この上総介という受領名は吉良氏、その

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