広報画像① (左上/左下)『聆涛閣集古帖』鏡 江戸後期 国立歴史民俗博物館蔵 (右上/右下) 国宝 線刻釈迦三尊等鏡像(瑞花鳳凰八稜鏡) 平安時代 公益財団法人泉屋博古館蔵 鏡面に線刻仏像を毛彫りした鏡像の名品です。鏡面の裏には二羽の鳳凰と二個の花枝文を交互に配しています。吉田家旧蔵品の一つです。 古いモノ(古器物)に憧れる心は、いつの時代にもあります。実際にモノを集めることはもちろん、それが叶わない場合は画像だけでも手元に置いておきたい、そういう願望は、歴史が好きな人ならば、だれでも心当たりのあることでしょう。 歴博の館蔵品の中に、江戸後期に編纂された『聆涛閣集古帖(れいとうかくしゅうこちょう)』という図譜集があります。これは、兵庫県の神戸・住吉の豪商だった吉田家が三代にわたり編纂した、いまでいう「図録」や「カタログ」にあたるようなものです。考古資料、文書・典籍、美術工芸品など、じつにさ
承久3年(1221)5月、ときの治天の君後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと起こした戦い、いわゆる承久の乱が勃発した。乱はわずかひと月ほどで終結し、幕府側がこの戦いに勝利したことで、はじめて武士優位な時代がおとずれた。そして、幕府は最重要拠点である三河の地に有力御家人足利氏を配置する。戦功を挙げた恩賞として三河守護職と額田郡、碧海荘、吉良荘の地頭職が足利義氏に与えられたのである。今から800年ほど前のことで、やがて吉良荘を本拠とした義氏の子孫は「吉良」を名乗ることになる。のちに室町足利将軍家の特別な一門として重きを成した吉良氏800年の序章を辿ってみたい。 義氏の出自 義氏は文治5年(1189)、足利氏二代義兼の三男として生まれている。父義兼は世代的には源頼朝と同じで、頼朝政権に忠実に従い、頼朝の知行国であった上総国(千葉県)の国司である上総介を拝命している。この上総介という受領名は吉良氏、その
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