坂上田村麻呂の墓所特定 京都の「西野山古墓」 2007年06月04日12時50分 平安初期の武人で上級貴族だった坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)の墓を、京都大大学院文学研究科の吉川真司・准教授(日本古代史)が文献調査で特定した。1919(大正8)年に京都市山科区で発掘された「西野山古墓(こぼ)」の可能性が極めて高いという。田村麻呂が創建したという清水寺(京都市東山区)に残る平安後期編纂(へんさん)の「清水寺縁起」に墓の位置が記されていた。 手前の竹やぶが西野山古墓(×印)。上方の○印が清水寺=4日午前、京都市山科区で、本社ヘリから 西野山古墓から出土した国宝の金装大刀(上)と金銀平脱鏡=4日、京都市左京区の京都大総合博物館で 西野山古墓の地図 墓の場所は「縁起」にある弘仁2(811)年10月17日付の朝廷の命令書「太政官符(だじょうかんぷ)」の表題に記されていた。行政の最高機関が土