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ブックマーク / satoyamasha.com (2)

  • 都落ち独身に住む家無し | どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜 | 里山社

    2008年、29歳になる年に富山へと帰郷した私は、家業である薬局に事務員としてお世話になることになった。戻ってきてすぐに仕事を与えられるという環境は大変恵まれているにもかかわらず、私はそれをなかなか受け入れられずにいた。 しかし私なんかよりも、都落ちしてきた未婚のアラサーで、処方箋にハンコのひとつもロクに押せない「社長の娘」という、微妙すぎる新人を受け入れる羽目になった薬局の職員さんの方が、よっぽどうろたえただろうと思う。シャチハタと実印の違いすら分からなかった私は、自分のポンコツさを払拭しようと、まだ「東京で雑誌編集をやっていました」風を吹かせようとしていた。 かつての同級生たちはほとんどがすでに既婚者か、結婚しようとしていた。帰ってきた当初は「アンタが戻ってきたら楽しくなるわ」と歓迎し、飲み会を頻繁に開いてくれたりした。しかし東京への未練を隠さず、「私でなくてもできる仕事をやらされてい

    都落ち独身に住む家無し | どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜 | 里山社
  • 失われた「寂しい富山」 | どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜 | 里山社

    2017年夏、富山を代表する総合機器メーカー「不二越」が、社を富山から東京に移転することを発表した。その会見の際に同社会長が、東京に移転する理由として「優秀な人材の発掘」を挙げ、「富山県は閉鎖的」「富山県民は極力採用しない」と県民の髪が逆立つ発言をしたことで、全国規模のニュースとなった。 不二越は祖父が勤めていた会社だった。戦後復興から、グローバル企業へと不二越が躍進した「ベアリング」開発に携わったのが祖父だった。かたや天皇陛下から勲章までもらった祖父が独立して興した工場を、ゆっくりと、確かな歩みで傾かせたのが父だ。 不二越は1928年の創業以来、90年間にわたって富山の地場産業を支え、病院や工業高校を作って地域に貢献してきた。駅名や町名にまでその名が冠されるほど地域密着型だった企業のトップが、「富山なんて大嫌い!」と言い放ったことは、県民に大きな衝撃を与えた。就職差別ともいえる問題発言

    失われた「寂しい富山」 | どこにでもあるどこかになる前に。 〜富山見聞逡巡記〜 | 里山社
    ptiringo
    ptiringo 2017/09/26
    駅前の話ばかりしてしまうの、東京帰りという感じある。
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