はじめてのアメリカ、はじめての共同生活。ふたりでなら、何だって楽しい。 この作品はエッセイではなく、フィクションです。
はじめてのアメリカ、はじめての共同生活。ふたりでなら、何だって楽しい。 この作品はエッセイではなく、フィクションです。
NOeSIS 嘘を吐いた記憶の物語 解説・田中ロミオ cutlass Illustration/cutlass・たぬきまくら 我々の後継者はスマホの中にいました———田中ロミオ 累計50万ダウンロード突破のスマートフォンノベルゲームcutlass自ら完全改稿のうえ待望の書籍化。 私がエロゲー業界に飛び込んだのは、今にもブームが起ころうという、高揚感に満ち満ちた前夜時代でした。当時、エロゲーを語るというのは新しいカルチャーだったようで、インターネットの普及とも足並を揃(そろ)えて、レビューサイトは日増しに増えていました。そういう追い風に助けられる形で、我々も様々な実験作をリリースすることができました。今も昔も学園ラブコメは強いジャンルでしたが、それでもまだ作風の多様性は保たれていた時代です。 時は流れ、2013年です。好景気の波は去り、当時の有名ブランドも多くがその姿を消してしまいました。
今年もいよいよ終わりが近づいてきた。 十一回目の満月の夜。あと一ヵ月後に今年は死んで、何の約束もない次の年を迎える。 その時までわたしたちが生きている保証は、あの透明な海月(くらげ)ほどもない。 今の人類にとって、月日とは失われるもの。死という単語はあらゆるものに適用される。聞くところによると、むかしの人たちはもっと明るい価値観を持っていたらしい。暦(こよみ)は消費するものではなく循環(じゅんかん)するもの、巡るものとして扱われていたとかなんとか。 要は同じ情報(データ)の使いまわしだ。節約にもほどがある。かつての人類は贅沢(ぜいたく)だったというけれど、わたしたちから見たら大した倹約家だと思う。 ただいま西暦、たぶん三千年ぐらい。 人類はとっくに終わっていて、毎日は繰り返される保証はなくて、その代わり誰も争わなくなって、人間が何千年もかけて積み上げた文明はぜーんぶ空に捨ててしまって、わた
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