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2010年1月25日のブックマーク (4件)

  • セーレムの魔女裁判|野次馬小屋

    妖術の歴史は、おそらく、人類の歴史とともに古い。のちに、世界宗教と称される普遍的宗教が成立した後も、妖術の地下水脈は決して涸れたことはない。むしろ、民衆の意識に深く根ざしたこの信仰を、世界宗教は利用しこそすれ、これと正面切って事を構えるような真似はしなかった。 13世紀、ローマ・カトリック教会は異端審問会を設置し、南フランスのアルビ派、次いでバルド派などを異端とし、血祭りにあげてゆく。すさまじい弾圧を受けた異端派は、アルプス山中に身を隠した。しかし、いかに追及の手をのばそうとも、ついに異端派を根絶することはできなかったのである。 しかし、異端審問会による異端派に対する弾圧がいかにすさまじかろうと、所詮、それはカトリック教会内部の争いにすぎなかった。 ところが、主だった異端派を弾圧しつくし、異端審問官の仕事もなくなったかに見えた1484年(この年代に注目! 15世紀も終わりである!)、時の教

  • boid.net

    人類 vs ダグラス・サーク  text by青山真治 事実は小説より奇なり、とよく言うが、私はそれを信じない。そう断言する人は小説にかぎらず、映画を含むフィクションというものにさほど慣れ親しんでこなかったのではないか、という気がしてしまう。事実、世間にはまったくとんでもないフィクションが存在する。しかもそこではほとんど事実そっくりに自然さと不自然さ、滑らかさとぎごちなさとが共存していたりする。これを真っ赤な嘘だと批判する人は、あるいはたかがメロドラマと嘲笑する人は、結局まんまとそのフィクションの巧妙な罠にかかってしまう生真面目かつ心の余裕のない前時代的な人だとしか思えないのだ。しかしその優雅さ、けれん、情動に堂々と身を委ねてこそ、人は時代に相応しい洗練を手にすることができたはずなのだが、どうやら人類はその機会を逸してしまったらしい。 人類が洗練を逸してしまった時代とは、一九五〇年代末。場

    puteeui
    puteeui 2010/01/25
    ダグラス・サーク 青山真治
  • 狂った果実

  • 【本間優二】狂った果実【蜷川有紀】