歴史に関するpuyomari1029のブックマーク (2)

  • 豊臣秀頼の首は生きたアサリとともに埋葬をされたのか?(大阪城三の丸の発掘調査)(書籍『秀頼の首』より) - 物欲子(ぶつよくこ)のブログ

    『秀頼の首』という入手の難しいがあります。この、1980年の大阪城の発掘調査で、豊臣秀頼(1593-1615)の可能性のある頭蓋骨を発見し、その異様な埋葬の状況を記した書物です。 しかし内容を知りたいと思ってもレビューも少なく、どんなことが書かれているのかずっと気になっていました。 今回は、やっと読むことができたこのの内容について書きたいと思います。 [http://:title] ①の構成など ②発掘の様子と頭蓋骨の鑑定結果 ③疑問など 最後に ①の構成など 豊臣秀頼は1615年の大阪夏の陣で、淀君らとともに大阪城・山里丸で自決をしたと伝えられています。 その遺体は、矢倉に火を放ったことでいずれか判別のつかない焼死体であったといいます。*1 大阪城に建つ石碑  写真引用:wikipedia「豊臣秀頼」 さて、著者の木崎國嘉さんは当時の現場の様子を見聞し、発掘された頭蓋骨を間近で

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  • シマウマに乗りたい人々の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    シマウマを家畜化したいという人々のチャレンジ 歴史上、数多くの人がシマウマを家畜化しとようと試みてきました。 記録には全く残ってませんが、アフリカ牧畜民はおそらくシマウマを飼い慣らそうと相当な努力をしてきたと思われます。しかし現在シマウマを飼い慣らせてないということは、その試みが失敗に終わったということです。野生のシマウマが人に懐かないのは、アフリカ牧畜民があまりにしつこかったため、人を恐れる習性がシマウマに組み込まれてしまったのではという説すらあります。 19世紀以降、アフリカを植民地としたヨーロッパの人々は、大量にいる野生のシマウマをなんとか家畜化して活用しようとして、いくつかの成功事例が出ますが、おおよそ失敗に終わっています。 1. なぜシマウマを家畜化しようとしたのか シマウマは見た目はウマに似ているし、シマ「ウマ」と言うのでウマと似ているような誤解を与えるのですが、実はロバの近縁

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