壬申の乱。 「委(わ)(倭)」と呼ばれていたこの国が「日本」へと改めるきっかけとなった戦い。 大海人皇子と大友皇子が王位を争って戦った古代最大の内乱です。 その壬申の乱からおよそ50年後に成立した『日本書紀』に記された壬申の乱の経過によると。 大海人皇子は権力に野心がないことを示すために出家、吉野に隠棲していた。 都にいた大友皇子は大海人皇子を殺そうと企て兵を集め始めた。 そのため仕方なく大海人皇子も挙兵。 結果1か月後には大海人皇子の大勝利となった。 天武天皇元年7月23日に大友皇子は自決。ユリウス暦672年8月21日のことです。 1349年前の今日です。 こうして大海人皇子は天武天皇となるのです。 ■日本書紀の記載からみる「壬申の乱」■ 壬申の乱は大海人皇子の正当防衛であった❓ 『日本書紀』の記録を鵜のみにするとそうゆうことです。 ほんとかな? 記録というのは勝者(大海人皇子)の都合よ