自分の頭のてっぺんにできた池に身を投げるという落語の演目「頭山」の実在論的オチが、子どもの頃から心に引っかかっていた。子ども向けのファンシーな作品を作り続けるなかで、自分自身を見つめ直す決定的な作品が欲しいと、迷わず頭山を選んだ。6年を費やし、「自分のために作った」。世界が絶賛した。 一つの時代にしか生きられない商業的「アニメ」とは隔絶した作品世界は、普遍的な芸術性を見せつけている。そこには大いなる自由がある。時空間を飛び越え、主体と客体はコロコロと逆転し、メタモルフォーゼ(変態)が散乱している。言葉には決してできない、感覚のなかの出来事が再現されているのだ。 わずか5分、10分のショートフィルムでも、何千枚ものコマを繰り返し描き、連続させることで動きを作るが、観る者はむしろ、コマとコマのあいだの余白に、想像力を掻き立てているのだ。 その哲学的思考は、エストニアのプリートパルンやロシ