阿部公彦に関するpygmalion313のブックマーク (7)

  • 『機械の停止 ― アメリカ自然主義小説の運動/時間/知覚』折島正司(松柏社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「潜み笑いとメタ批評」 「英米文学研究にはこんなこともできるのだ!」を示すには格好の一冊である。2000年の出版だが、すでに古典の風格がある。 著者の折島正司は1947年生まれ。60年代後半に学生生活を送り、70年代にはすでに格的な研究活動に入っていた。構造主義以降の英米仏独の批評理論を、いわばガンガン日に紹介した急先鋒のひとりである。筆者も大いに恩恵を受けた。 では、人の手になる研究書ともなればさぞかし理論臭ぷんぷんかというと、全然そんなことはない。おそらくは編集者によるのであろう索引を見ても、項目はすっきりしていて、固有名詞&批評用語バラマキ型の理論派とは一線を画す。 それどころか、何より「イントロダクション」をめくっておどろくのは、書き手の実にうきうきとした口調である。へらへら笑っているわけではないのだが、いちおうまじめそうに語っている底から明らかに昂揚し

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  • 『徒然王子』島田雅彦(朝日新聞出版社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    pygmalion313
    pygmalion313 2008/11/20
    「どもることで誰かに救われようとするような「少年語り」とも違うし、気まぐれで、くせのある「悪女の語り」とも違う。むしろ「父の語り」とでも言うべきか」
  • 『乱視読者の英米短篇講義』若島正(研究社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「明晰な情事」 大学生にお薦めの批評入門第二弾。文学とのお付き合いの方法がわからないという人には、是非手にとってもらいたい一冊である。いわば恋愛指南の書。 著者はこの何十年、文学という異性とさまざまな形で付き合ってきた。声かけ(ナンパ)や、十年越しの片思いや、別れや、喧嘩や、場合によって悲恋や、あるいは思わずこちらが赤面するほどのディーーーーップな秘め事もあった。いやあ、先生、お盛んですな、と思わず言いたくなる。しかし、そんなに情熱的で経験豊かなのに、まるで何事もなかったかのように淡々と、明晰に語ってみせるところが何よりすごい。ほんとうの淫乱とはこういうものかと思う。 著者の若島正は、英文学界では知らない人はいないほどの学者だが、果たして一般にはどうか。渋谷のセンター街で道行く女子高生に「若島正って誰?」と聞いても、ちゃんとした答えを返してくるのはせいぜい10人中1~

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  • 『苦海浄土 わが水俣病』石牟礼道子(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「誰が書いてもいい話」 よく知られた事件についての、たいへん有名な作品である。刊行は1969年だから、ほぼ40年前。 意外とよく知られていないのは、水俣病にかかわる裁判が、2008年の今なお係争中だということである。そこで、たとえば、その話を聞いた筆者のような者が、「へえ、そうなんだ」と思ったとする。たまたま九州に行く用事がある。せっかく初の九州行きだから、福岡だけでは何だし、せめて熊まで行ってみよう、などと思ったりする。熊の城を見物し、時間があって天気が良かったら阿蘇山の方まで行ってみようかと地図を広げると、熊の向こうはもう鹿児島である。九州の中でも異世界であった薩摩の歴史に思いがおよぶ。気分はたかまってくる。 そこで、ふと海沿いの「水俣」という地名に気づく。そうか、こんなところにあるのか、と思う。行ってみようか、と考える。でも、熊県の最南端、鹿児島との境に

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  • 『漱石の思い出』夏目鏡子述・松岡譲筆録(文春文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「悪伝説」 漱石の私生活を扱うはいつも人気が高い。その多くがタネにしているのが書である。語り手は未亡人の夏目鏡子。娘婿の松岡譲による筆録なのだが、鏡子の落語みたいな語り口が実に雄弁で、ほとんど芸の域に達している。 鏡子夫人は悪伝説で有名だ。そもそも「悪」の定義が何なのか気になるところだが、書を読んでいくと、ああ、そうか、と腑に落ちる。たとえば悪は、朝、起きられない。朝になると、頭が痛い。 私は昔から朝寝坊で、夜はいくらおそくてもいいのですが、朝早く起こされると、どうも頭が痛くて一日じゅうぼおっとしているという困った質でした。新婚早々ではあるし、夫は早く起きてきまった時刻に学校へ行くのですから、なんとか努力して早起きしようとつとめるのですが、なにしろ小さい時からの習慣か体質かで、それが並はずれてつらいのです。(中略)時々朝の御飯もたべさせないで学校へ出し

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  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ�:�『言語表現法講義』加藤典洋(岩波書店)

    →紀伊國屋書店で購入 「うざったさの批評」 批評の方法に関心があるという学生さんがやってきたら、筆者がまず推薦するのはこのである。 「表現法」の講義というのだから、表向きは文章を書くための教科書である。もちろん「スキマを生かせ」とか「ヨソから来るものを大事にせよ」といった、まごう方なき「コツ」も並んでいる。しかし、コツだけを求めて読んでいくと、たぶん、途中でへばってしまうだろう。著者がかなり気なのだ。決して難しいことは言わないし、予備知識もゼロでいい。でも、こちらが腰をいれていないと、それこそ、押し返されそうだ。 腰を入れる、とはどういうことか。たとえば冒頭、何かを教えようとか、大学らしい学問をしようという気持ちは捨てた、と著者は言う。そもそもみんな、文章を書くことがあまりに楽しくない、そこが問題だという。 皆さんは、なぜ文章を書くのが楽しくないのだと思いますか。僕はある時、その理由を

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  • 『おれにはアメリカの歌声が聴こえる―草の葉(抄)』ホイットマン 飯野友幸訳(光文社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →『おれにはアメリカの歌声 が聴こえる―草の葉(抄)』 →“Leaves of Grass” 「ホイットマンをゆるす」 ホイットマンの名を聞いたことがないという人は少ないだろう。英語圏の詩人の中では、おそらくシェイクスピアについでもっともよく知られた存在である。小説中心の「古典新訳文庫」シリーズでも、ただひとり詩人としてラインナップに名前を連ねている。 しかし、ホイットマンの詩はあんがい読むのがむずかしい。言っていることがわからないのではない。いや、言ってることはわかるのに、なおわからないところが難しいのである。たとえば「古典新訳文庫をかたっぱし読んでやる!」とやる気満々の人がいたとする。そういう人が、「あ、ホイットマンがいる。そうか詩か。よし、読むぞ!」と思ったとする。しかし、もし「そうか詩か(どんと来い!)」と意気込んだとしたら、すでにホイットマンはうまく読めなくなる可能性がある。 そ

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