飯島晴子は、農村や山村を訪ね、その生活にふれることを楽しみ、かつ作句の源泉とした。生活感のある平凡な農山村が、自分の俳句を引き出してくれる、と言っていた。 私のふるさと、山梨県上野原町(現、上野原市)もそういう農山村のひとつである。町内の若い俳人佐々木碩夫(みつお)から、「今夜、飯島さんと仲間たちが泊りこみの句会をします」といわれ、挨拶に行った。この家には、かつて藤田湘子も来たことがあり、句集『白面』(昭44、牧羊社)に「上野原、佐々木碩夫の家に遊ぶ 七句」として嘱目句を収めている。 大きな掘炬燵のテーブルには、母親手づくりの煮ものや漬けものが山と盛られ、句会前の緊張感と和気藹々の雰囲気を生みだしていた。こまめに仲間の面倒をみる晴子は、佐々木家の生活にとけこんでいた。 「今夜は、雑誌『俳句』の企画をまとめなければなりませんので、残念ですが失礼します」といって、私は中座した。数日後、晴子から