70年代にJamやHEAVENといった雑誌をサポートしていた群雄社という出版社があり(84年に倒産。ニューアカで有名な冬樹社が表なら、こちらが仮に裏とでも思って下さい)、そこで出版部長を務めていたYさんから「ミチロウがテクノに興味を持っていて、彼のスタッフから連絡が行くと思う。電話があったら相談にのってあげてくれ」と言われたことがある。ラフィン・ノーズのYOSU-KOとPONがCOW COWというハウス・ユニットを始めた頃で、パンクからハウスへの変化は必然だったと彼らから聞いていたこともあり、ミチロウがテクノというのもありえない話でもないのかなとは思ったものの、結局、スタッフから電話がかかってくることはなく、次の年にはテクノどころか「遠藤ミチロウがギター一本で全国ツアー」みたいな告知文を目にすることとなった。ザがつかないスターリン解散直後のことで、ミチロウが次に何をやろうか迷っていたなかに