1991年はソ連が崩壊した年でした。しかしそれは同時に長く苦楽を共にしたMSXの仲間達のとの別れをも意味していました。 父はソ連との提携終了の事後処理のため、ほぼ1年に渡ってアゼルバイジャンに滞在しています。 それまで死んだ魚の目の様だった労働者たちが「自分たち、そして母国のために」と働く姿は眩しく見えたそうです。それはソ連共産主義の呪いから解き放たれた人々の本来の姿だったのでした。そんな折、MSXの仲間達がささやかな送別会を開いてくれたのでした。 ソ連、アゼルバイジャン共に生命線だったバクー油田宴会はチームMSXのメンバーのその後の進路について盛り上がります。皆その後の人生をMSXとの出会いによって決断したと語るのでした。 チームMSXメンバーは一騎当千のつわもの揃いで、掛け替えのない仲間達でした。 「私は新設される工場の現場責任者に任命された、これも日本の同志のおかげだ。」 この件は前