修善寺といえば「源頼家の殺されたところ」 修善寺と聞くと、私はいつでもつい「源頼家の殺されたところ」とおもってしまう。 さほどにその死の陰惨さが印象深い。 小林秀雄の『実朝』を若いころに読んだからだろう。 新潮文庫『モオツァルト・無常という事』に収録されたこの一篇は「歌人・実朝」について小林秀雄が語ったものであるが、そこで当時の政治状況にも触れる。 「頼朝という巨木が倒れて後は(…)鎌倉幕府は陰謀と暗殺との本部の様な観を呈する」 と評し、頼家の暗殺について引用する。 原典は「愚管抄」である。 「サテ次ノ年ハ、元久元年七月十八日ニ、修善寺ニテ又頼家入道ヲバサシコロシテケリ、トミニエトリツメザリケレバ、頸ニヲヲツケフグリヲ取ナドシテコロシテケリト聞ヘキ」(「愚管抄」六) カタカナで書かれていて読みにくいこともあり、一読、すべてのシーンが浮かんだわけではないが、何度か読んでいるうちに、その陰惨さ