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ペペ長谷川の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 守るべきモノがある人間の『最適解』と、守るべきモノのない人間の『最適解』はちがう - 自意識高い系男子

    banashi1.hatenablog.com 山奥ニートこと葉梨はじめ氏が、子育てのために山を降りるという。 私は人生の選択肢はあればあるほど良いと考えている人間で、オルタナティブな生き方を模索実践する氏の活動にも興味を持っていたので残念な気持ちがまったくないと言えば噓になるが、実際問題山奥での子育ての過酷さは容易に想像できる。 青年期/結婚期/子育て期/退職後。人生のステージに応じて生き方の最適解は変化する。その変化に人生を対応させていくのは個人として至極当たり前の話だろう。子供という守るべき存在ができれば、「普通」の生き方から外れた自由な人生を歩むことは難しい。 やっぱり真の自由って、守る物が特にない人にしかできない。子どももうけて感じる。とはいえまんこは言い張り続けるよ— ろくでなし子 /Megumi Igarashi (@6d745) 2024年1月25日 “ 守るべき存在ができ

      守るべきモノがある人間の『最適解』と、守るべきモノのない人間の『最適解』はちがう - 自意識高い系男子
    • 『不適応者の居場所』に行ってきました。 - 口から出まかせ日記【表】

      去る11/16の土曜日。高円寺の一角で、密やかに、そして大胆に行われた「不適応者の居場所」に行ってきました。「不適応者の居場所」とは、鶴見済さんが主宰され、去年の11月から行われているイベントのことです。 tsurumitext.seesaa.net ある時は高円寺で、ある時は代々木公園で行われている、特に目的もない、ただ集まって食事をしながら駄弁る会、というものです。「不適応者」と名付けられているからといって、引きこもりがちの人とか、うつ病の人限定というわけではありません。なんとなくこの会のことを知り、なんとなく集まれる人が集まる。そういうものだと思います。 私もなんとなくこのイベントの事を知り、なんとなく「行きたいなぁ」と思っていましたが、ようやく重い腰を上げ、行ってみた次第です。今回はそれについて色々お伝えししていきます。「行ってみたいけど、実際どうなんだろう」という方にとっても、多

        『不適応者の居場所』に行ってきました。 - 口から出まかせ日記【表】
      • エリートコースから脱線した「早慶OB・現役生の残酷すぎる現実」 慶大3年生ソープ嬢の言い分とは (3ページ目)

        次に紹介するのは早稲田「だめ連」の今だ。「だめ連」とは、普通の人のように働かない(働けない)者たちが、だめな人がだめをこじらせないことを目的に集い、イベントなどを開催している集団だ。当時はバブル崩壊という社会の転換期でもあり、彼らの思想はテレビからも脚光を浴びた。高学歴でありながら自ら働かない選択をした彼らは、今をどう生きているのか。創設者のひとり、ペペ長谷川氏(53)が今を語る。 今? 幸せっちゃ幸せだけど、キビシイっちゃキビシイ。働かないで生きるって自分で決めたわけだけど、実際問題、それでは死んじゃうから、結局のところバイト生活。週に1回飲食店、バーテンとヘルパーを月に2回ずつ。あとは日払いのバイトをポツポツとして月に10万円弱の収入。風呂なし共同トイレのアパートで家賃は3万5000円。風呂は近所の銭湯に週1からって感じ。なんとかなってはいるけども、基本的には口座を見るたびに、「キビシ

          エリートコースから脱線した「早慶OB・現役生の残酷すぎる現実」 慶大3年生ソープ嬢の言い分とは (3ページ目)
        • 「さよならのかわりに」究極Q太郎 :: 抒情詩の惑星

          だめ連のペペ長谷川さんが亡くなった。三年前に胆管癌と診断され、その時「手術を受けなければ余命半年」と医者から言われながら、外科手術を受けずに自然療法で治そうとして闘病中だった、享年56歳。若い。私たちの周囲では若くして逝く人がとても多かったが、彼にはもっともっと長生きして"高円寺のヌシ"として世に憚り、ろくでもないことばかりのこの社会に向かって「食い込み」続けて欲しかった。 「食い込む」とは、「交流」(「コーリュー無限大」などとキャッチフレーズ化された)という言葉ともに彼がよく使っていた語彙のひとつで、もともとは400勝投手金田正一がスポーツ新聞か何かに連載していたコラム「カネやんの'食い込んだるで'」から採って、「トーク」によってひとの懐に入り、表面的ではない、本質的な話をする、というような意味として彼が愛用していた言葉である。 私は彼とは同い年で、30年以上むかし知り合い、その頃、互い

          • ぺぺ長谷川へ | フリーター全般労働組合/キャバクラユニオン

            ペペ長谷川と最初に会ったのは、大学1年で早稲田鶴巻町にあるフリースペースヴィジョンというところだった。当時、ぺぺは、TZ2(ティーゼット・ツー)と呼ばれており、そのことにも驚かされた。「2(ツー)」だからツバイと省略されていた。同場所には、国家秘密法に反対するピリオドというグループがあって、その後、わたしたちは、早大のノンセクトのグループ(以下「NR」という)で、それこそ泣き笑いをともにした。出会った年、1987年は天皇訪沖阻止という課題があり、ともに闘うこととなる。上記、フリースペースから「秋の嵐」が生まれた。 ペペ長谷川という名は、NRの合宿のときみたビデオに出演していた俳優の芸名からとられたのと、先輩の顔が浮かんできたとのことだったが、この「ペペ長谷川」が、すっかり定着したのだった。学費闘争等もかかせない思い出であるが、最近、ぺぺはNR時代を振り返り、Tコボ氏に「楽しませてもらった」

            • <書評>『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』神長恒一・ペペ長谷川 著:東京新聞 TOKYO Web

              それから30年。だめ連は生き延びていました! 神長恒一さんとペペ長谷川さんの共著である本書は、その記録です。30年経(た)てば当然ふたりとも30歳年をとっています。還暦に近いおふたりのうち、ペペさんは昨年2月がんで亡くなったことを知りました。ですからこの本はペペさんへの追悼でもあります。 30年、就職せず、結婚せず、フリーターとバイトで面白おかしく暮らし、思いつきで次から次へとイベントを企画し、バンドもやり、踊り狂い、何より人に会い続け、朝まで吞(の)んでしゃべくって、脱原発のデモにも行き…多くの人が定年になったら自由にふるまいたいなあ、と思うような暮らしを先取りしてしまったおふたり。なぜ待たなきゃいけないの?会社の奴隷になるより、たったいま自由を謳歌(おうか)すればよいのに、というメッセージ。記録といってもペペさんと神長さんが「グッヒヒヒ」「ヒャヒャヒャ」「クックック」と合いの手を入れな

                <書評>『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』神長恒一・ペペ長谷川 著:東京新聞 TOKYO Web
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