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メディアミックスの検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 「オタク」大衆化の歴史と、その条件について調べてみた。

    30年ほど前、オタクは、「キモくて不気味でコミュニケーションできない人々」とみなされていた。 しかし今日ではそうではない。オタクという言葉は“推し”という言葉と同じぐらいカジュアル化し、要するに、誰でもオタクと名乗れるようになった。 それで救われた人もいるし、かえって救われなかった人、誰でも名乗れるようになったオタクを名乗りづらくなった人もいるように思う。今日は、そんなオタクという言葉の過去と現在について振り返ってみたい。 はじめに「オタクは異端である」という宣告があった オタクの過去を振り返る際のスタート地点をどこに置くのかは、論評の性質によって早くなることも遅くなることもある。 本論では、さしあたり1983年から話を始めたい。1980年代の段階でオタクはすでに存在していて、当時は「おたく」と平仮名で書くのが一般的だった。 では、その1983年に何が起こったか。オタクに宣告が下されたので

      「オタク」大衆化の歴史と、その条件について調べてみた。
    • 推しと宗教はどこまで同じで、どこから同じでないか - シロクマの屑籠

      www.4gamer.net 少し前に、推しと宗教の共通性について宗教学の先生がお話している文章を読んだ。私はそれを読んである程度は納得できると同時にある程度からは納得できないものだった。ただし、くだんの先生は、私を説得するために「推しと宗教の共通性」についてしゃべっていたわけではない。それに、確かに私たちは推しに「尊さ」を見出しているから、間違ったことを述べていたって印象はなかった。 が、私も推しについては関心は持っているし、私なりに推しと宗教の異同について書いてみたくなったので、やってみることにする。 推しと宗教、共通しているところ 推しと宗教の共通点は、既にリンク先で宗教学の先生がおっしゃっていた。推しに「神聖さ」を見出しているご指摘は、巷でいう「推しが『尊い』」という言い回しとも一致しているし、推しに対してファンがある程度脳内補完したイメージを消費しているさまを福音派の話とダブらせ

        推しと宗教はどこまで同じで、どこから同じでないか - シロクマの屑籠
      • 「仮面ライダーガヴ? どうせ普通の仮面ライダーでしょ?」 - ジゴワットレポート

        「おつかれ~」 「ごめん、ちょっと遅くなったわ」 「どうする? 生?」 「いや、最近は炭酸がきつくってさ。ハイボールで」 「ハイボールも炭酸だろ」 「違いねぇ~~」 「サラダとか刺身とか適当に頼んどいたけど」 「助かるわ。学生の頃はいきなりから揚げとか頼んでたけどな」 「わかる。今は厳しくなってきた」 「ここ日本酒も美味しいらしいから後で試そうぜ」 「いいねぇ」 「そうそう、ところで最近、仮面ライダー見てる?」 「そりゃあ、見てるよ。幼少期からずっと見てるよ」 「ぶっちゃけ最近どうよ? いや、実は自分ちょっと意欲が落ちてきてて……」 「ガッチャードも、ギーツも、面白かったぞ。てか何か不満があるの?」 「不満ってほどじゃないのよ。ただ、自分がイメージする仮面ライダー像みたいものとは、やや離れちゃってるかな、って」 「なるほどなぁ~。とはいえ、近年のも割と読み込んでいけば仮面ライダーらしさみた

          「仮面ライダーガヴ? どうせ普通の仮面ライダーでしょ?」 - ジゴワットレポート
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