込み上げてくる感情を抑えられなかったのは、この世界的なGKだけではない。 「東京五輪のプロジェクトに懸けて、ずっとやってきたので。1年間の無職時代を含めて、苦労だったり、チームと過ごしてきた日々だったり、メダル獲得を目指してきた努力だったり……。そうしたことすべてが走馬灯のように頭の中を駆け巡ったんです。それが最後にメダルという形となって終われたことに対する感動と、支えてくれたみんなに対する感謝の気持ちがこみ上げてきて……」 輪に加わっていたコーチの西村亮太もまた、溢れ出る涙を止めることができなかった。 2010年夏、野心を抱いてメキシコに渡り、右も左もわからぬまま突き進み、指導者としてのキャリアを切り開いてきた。 その長く苦しい日々が報われた瞬間だったのである。 それにしても、コテコテの大阪人である西村が縁もゆかりもない土地で指導者になったのは、なぜなのか――。 指導者を志したのは高校生