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井伊直親の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 旅の思い出~その34~遠江国を巡った小さな旅…(三方ヶ原古戦場、井伊直虎・直政の故郷・井伊谷(いいのや)、山内一豊の出世城・掛川城を訪ねて…) - げんさんのほげほげ日記

    井伊谷城の本丸跡から街並みを眺めて…遠くには浜松駅の高層ビルが見えました 東京も晴れ間が戻ってきました。 東海地方まで梅雨入りして、関東地方も時間の問題かな…と思いましたが、 しばらく待つことになりそうですね…。 梅雨入り前にどこかへ出かけたいなぁ…あ、でもちょっと難しそう♪ そう思うと無性に旅に出かけたくなります。 はい、そんな気分のときは以前旅した思い出に浸るのがいいですね…。 ということで、久しぶりに旅の思い出をご紹介したいと思います。 今回は4年前に訪ねた遠江国の史跡を… 徳川家康が武田信玄に敗れた三方ヶ原の古戦場、 井伊直虎、井伊直政…井伊家発祥の地、井伊谷… そして山内一豊の出世の糸口となった掛川城。 大河ドラマの舞台となった故地を訪ねた旅をご紹介したいと思います。 とある日、天気がよい朝…早起きしたワタクシは気が付いたら、 東京駅から新幹線に飛び乗り、一路浜松駅を目指しており

      旅の思い出~その34~遠江国を巡った小さな旅…(三方ヶ原古戦場、井伊直虎・直政の故郷・井伊谷(いいのや)、山内一豊の出世城・掛川城を訪ねて…) - げんさんのほげほげ日記
    • [探訪]井伊直政:戦いでの傷と評判の真相を探る

      井伊直政(いい なおまさ )は1561年に遠江国(とおとうみのくに )の井伊谷城主の井伊直親(いいなおちか )の嫡男として生まれました。 1575年から徳川家康(とくがわいえやす)の家臣となると、徳川四天王の1人として知られるようになります。 1602年に1600年の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい )で鉄砲傷を負い、その傷が原因で死亡しました。 井伊直政は42年の生涯でしたが、今回は直政に関するエピソードについて紹介します。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティ

        [探訪]井伊直政:戦いでの傷と評判の真相を探る
      • 1 月を吐く(築山殿) 諸田 玲子(2001) - 小説を 勝手にくくって 20選!

        ここからは、徳川家康にまつわる人物や戦いの20選になります。 *Amazonより 【あらすじ】 東海の覇王、今川義元の治世下。山の峰が丸ごと吐いたかのような、月が美しく見える吐月峰(とげっぽう)。京の連歌師宗長が庵を築き、その後僧侶の宗物が世捨人の暮らしをしていたが、宗物はかくまっていた姉弟を世に出すために、義元の重臣関口親永に託す。親永は先年瀬名姫という娘を授かったこともあり、従者として預かることにした。 瀬名姫が成長すると、その美しさは今川家中でも評判となる。従兄弟で幼馴染みの、国主の嫡子今川氏真に嫁ぐとも噂されたが、氏真は北条家から正室を迎えることが決まる。ならばと家中から嫁入りの申出が多数舞い込んだが、瀬名は吐月峰から来た従者で4歳年上の広親に恋心を抱いていた。 瀬名が9歳の時、蹴鞠の会で1人だけ粗末な小袖を着ている同じ年頃の、三河から人質に取られていた松平元康が目に入る。英邁な今

          1 月を吐く(築山殿) 諸田 玲子(2001) - 小説を 勝手にくくって 20選!
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