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入院生活の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 24年暮らしてきたイタリアが、大変なことになっている。

    サボりながらも長いこと続けてきた「ピエモンテのしあわせマダミン」をお引越しリニューアルしようと思っていたら、イタリアではコロナウィルスの感染があっという間に広がって、今、恐ろしい状態になっている。 今日3月18日現在、感染者数28.710人、死亡者数は1日で475人も増えて2.978人 日本でも心配してくださっているイタリアファンの皆さんのために、状況の変化を時系列に並べて書いてみた。 @@@ 2月の中旬までは、個別の感染ケースが数件見つかったものの、水際対策での押さえ込みに成功していたかに見えたイタリア。あっという間に感染が広がり、今や、中国に次ぐ大きな感染国となってしまった。事実上の外出禁止になってからすでに10日、自粛ムードになってからも数えれば、もう一ヶ月近くがたつ。先の見えない重苦しい気分や不安がだんだんと膨らみ、身近に忍び寄ってきている。 2月21日(金曜日) イタリア北部のヴ

      24年暮らしてきたイタリアが、大変なことになっている。
    • コロナ自宅療養に殺されかけた話|工藤スナッフ|note

      Twitterに書くか迷ったのですが若干余裕が出てきたのでメモ帳スクショお気持ち表明ツイートさせたいただきます。 新型コロナウィルスに感染しました。 pic.twitter.com/NCzGptKAYo — 工藤スナッフ(コロナ闘病中) (@kudou_snuff) January 9, 2021 この時はまだ良かった。このあと、生死を彷徨うことになる危険な経緯について、私が書かねばなるまいと思ったので筆を取らせていただきます。 感染者情報東京都世田谷区在住、32歳男性、一人暮らし。基礎疾患など特に無く健康。タバコも吸いません(お酒はまあまあ飲む)。在宅勤務で人に会うのは月に2回程度。生活のほとんどを家で過ごし、買い物に出かけても対策を怠らず、まさか自分が感染するとは思いもしていませんでした。 考えられる感染経路は大晦日→元旦に仲間たち数名と家で会食をしたことです。これに関しては気の緩みが

        コロナ自宅療養に殺されかけた話|工藤スナッフ|note
      • ジャニー喜多川 - Archive of STARTO

        ジャニー喜多川(ジャニー きたがわ、日本名での本名:喜多川 擴 〔きたがわ ひろむ〕、米国名での本名:John Hiromu Kitagawa 〔ジョン・ヒロム・キタガワ〕、作詞時の別名義:JOHNNY.K、1931年〔昭和6年〕10月23日 - 2019年〔令和元年〕7月9日)は、日本の元・実業家、芸能プロモーター。 ジャニーズ事務所、および関連会社のジャニーズ出版、ヤングコミュニケーション、ユニゾン、つづきスタジオの旧代表取締役社長。 ジャニーズアイランド旧代表取締役会長。 ジェイ・ドリームの旧代表取締役社長 (名義だけの幽霊社長)。 元・CIA工作員、米国軍人、外交官。 同性愛者 (真性の小児性愛者、少年性愛者)、性嗜好異常者 (パラフィリア)、魂の殺人者。 ロサンゼルス生まれの日系二世 (両親共に日本人)。 身長:153cm。 血液型:AB型。 87歳没。 姉はメリー喜多川。 なお

        • 精神疾患で人生崩壊。京大卒40代のいま。

          「パパゲーノ」という言葉をご存じだろうか。 ひとつの人生観を表す言葉である。 人間、いつどこで不幸の渦に巻き込まれるかなんてわかったもんじゃないし、人生の「前提」なんて、あっという間に壊れた。 エリートだった。しかしある時崖から落ちるように崩れた。一度は持ち直したのに、再び不幸のどん底に叩き込まれた。 正直、生きていることに未練はない。それでもわたしは、日々息をしている。 限りなく普通っぽいわたし 「清水さんって、全く『そういうふう』には見えないですよね」。 よく、そう言われる。 「そういうふう」=「精神障害者」のことである。 まあ、障害と20年も付き合っているうちにこなれてきたというのもあるだろう。完治の見込みはない。「寛解」という落ち着いた状態のなかにいるだけのことだ。 「障害があっても希望を持って生きている人がいる」的な話をマスコミなんかで目にする。 そういう意味では、音楽という趣味

            精神疾患で人生崩壊。京大卒40代のいま。
          • コロナはめちゃくちゃ怖いよという話 - 文系大学生のギター日記

            お久しぶりです。実は私、齢22にしてコロナウイルスに感染し、10日間ほど入院をしていました。 [追記]質問が多かったので。ワクチンは予約してたんですがその数日前に感染し、一回も打てないまま泣く泣くキャンセルとなりました…誰かキャンセル枠で打っててくれ… ちなみにPCRをしてくれたお医者さんによると「ワクチン打つ前にかかる人ばっかりですよ」とのことでした。みんな早くワクチン打とう。手遅れになるぞ。 自分が思ってたよりきつかった。いやトップクラスにきつかった。 なので、自分の記録だけでなく、ぜひ皆さんにコロナの怖さと、自分が体感してきた医療体制の混乱を、共有しておきたいと思います。 はてなブログのシステムすらロクに分かってないブログ初心者の文章なので、多少の言葉のあやとか違和感とかは大目に見てください。 1.入院に至るまで 2.入院から退院まで、その後 3.コロナについて知っておいてほしいこと

              コロナはめちゃくちゃ怖いよという話 - 文系大学生のギター日記
            • 脳の血管が爆発した話|軟骨

              ごきげんよう。 整形の後編を綴る前に、とんでもないことが起きたので先にそっちをエピソードを供養します。 8月21日。その日も暑い日だった。会社での昼休みにいつも通り楽しく談笑しながらおじさんズと食後の一服をしていたら、首の後ろ側が攣ったみたいにピーン!と固くなった感覚と共に結構な痛みが広がってきた。ジワジワと後頭部に広がりながら増していく痛みと若干の吐き気。これは強さも種類も経験したことがない頭痛だ…何かがおかしい…。 そう考えた私は閃いた。 熱 中 症 だ ! ! ! そういえば事務所内にいることもあってあまり水分をとってなかった気がする。そうだ、これが噂の熱中症なんだ。とりあえず頭が痛すぎる。気持ち悪い。無理せず帰ろう。帰ってポカリ飲んで寝よう。 頭痛的に自分で車を運転して帰れる自信がなかったため、両親に会社まで迎えに来てもらい早退した。あまりにも子供部屋おばさんすぎるが緊急時にそんな

                脳の血管が爆発した話|軟骨
              • 最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話|渡海奈穂

                初めて自力で部屋を借りたのは、小説家としてデビューして数年経った頃。 デザインの専門学校を卒業後、なぜか小説家になって、そこそこ定期的に単行本も出してもらって、数年で「まあ、一人でもやって行けるだろう」と割と無計画に実家を出て上京した。 実家は埼玉で、一時間もあれば都内に出られるし、そもそも仕事の打ち合わせは電話がメインで、原稿は宅配とメールでやり取りできるし、いちいち編集者と会う用事もない。 でも家を出たくなったのは、小説家という仕事に対して父親の理解がさっぱりなかったり、隣の家の騒音が凄まじくストレスのせいで気が狂いそうだったり、同人活動をしているからコミケ会場に近い方が楽だったりしたので。 一番大きな理由は、仲のよかった友達の家が東京にあって、しょっちゅう遊びに行ったり、泊まったりしていたから、帰るのが面倒になってしまったせいだったかもしれない。 なので、その友達の家の近くに越すこと

                  最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話|渡海奈穂
                • 何の才覚もないゴミカスニートになったが気づいたら円安のおかげで半年で結構な金持ちになってしまった

                  ガチの子供部屋おじさん41歳 去年の秋に親父が死んで数千万の遺産が舞い込んできたんだけど 親父のことはマジで大好きだったので、あまりにつらくて仕事を辞めてしまった ブラックでもホワイトでもないような会社で社内で開発されてたフレームワークのスクリプトしか使えないという辞めたらなんの役にも立たないゴミカスニートになってしまって 母親は子供部屋おじさんなのを世間体を気にしていやがってて春頃にはお決まりの善意のモラハラ攻撃 守ってくれた親父がいなくなり居心地の悪さから人生逆転を狙ってメキシコペソに遺産の半分を突っ込んだ 突っ込んだときは多分ネットニュースとかでよく見る遺産一瞬で溶かすおじさんのお約束パターンだけど、スワップポイント稼ぎだし大丈夫っしょ くらいの気持ちだった その直後にバイクですっころんで右大腿骨をバキバキしてしまって4か月入院 遺産で買った中古のジェイソンは一瞬で廃車、ショックすぎ

                    何の才覚もないゴミカスニートになったが気づいたら円安のおかげで半年で結構な金持ちになってしまった
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