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兵学の検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 中国の新兵学書「超限戦」、尖閣で見事に実践 日本は尖閣諸島での「敗北」を徹底的に研究すべし | JBpress (ジェイビープレス)

    尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を巡る反日デモが10月19日から3日連続で繰り広げられた。デモ参加者は、大学生など若者が主体で、場所は、四川省成都市・綿陽市、陝西省西安市、河南省鄭州市、湖北省武漢市など中国内陸部だという。 デモの原因は定かではない。表向きの反日デモという見方は浅薄だ。中国では急速な経済成長の陰で、貧富の格差や就職難、官僚の汚職などが社会問題化し、現共産党政府に対する不満が底流にあるのは確かだ。 当局としては、これらの不満を「反日」に転嫁させたいというのが本音だろう。一方で、デモがエスカレートするのを容認すると、天安門事件同様反政府デモになる恐れがある。 日本としては、現在生起している反日デモを中国政府がどんな「魂胆」でコントロールしているのか真剣に分析し、その「火の粉」の向かう先を予測し、対策を講じる必要がある。 今回、中国の「魂胆」を読み解く「手がかり」として「超限戦

      中国の新兵学書「超限戦」、尖閣で見事に実践 日本は尖閣諸島での「敗北」を徹底的に研究すべし | JBpress (ジェイビープレス)
    • 薩摩藩がもみ消した黒歴史…明治維新の直前に殺された「もう一人の坂本龍馬」をご存じか 幕末史から消された兵学者・赤松小三郎の功績

      大政奉還の仕掛け人であった龍馬は幕府消滅後の新政体の構想も温めており、暗殺される直前に作成した「新政府綱領八策」では議会制度の導入を提起している。 だが、龍馬よりも早く、同様の構想をもって幕府や薩摩藩などの間を周旋して回った人物がいた。龍馬よりも四才年上にあたる、上田藩士で兵学者の赤松小三郎である。 その新政体案は、同時代の先覚者の誰よりも先進的で、具体的な内容を伴っていた。それゆえ、近年とみに注目が集まっている。 龍馬と小三郎は共通点が少なくない。二人とも勝海舟の門人であり、薩摩藩とも縁が深かった。京都で非業の死を遂げたことも同じである。龍馬に約二カ月先立つ形で、慶応三年九月三日にこの世を去る。享年三十七であった。 龍馬の一歩先を行っていた知られざる幕末の先覚者赤松小三郎が果たした歴史的役割を、龍馬と比較しながら考えてみたい。

        薩摩藩がもみ消した黒歴史…明治維新の直前に殺された「もう一人の坂本龍馬」をご存じか 幕末史から消された兵学者・赤松小三郎の功績
      • 現代語訳 『鈐録外書』 ~近世最高の軍オタ荻生徂徠が戦国合戦と江戸兵学を論じる~ | とらっしゅのーと

        これは江戸時代の軍学書である荻生徂徠著『鈐録外書(けんろくがいしょ)』の現代語訳である。 荻生徂徠の兵学は、江戸時代において軍事学を志す者の基礎教養としての地位を占めたが、中でもこの『鈐録外書』は時代に応じて戦争術を発展させる必要性を、広い視野と分厚い知識を元に論じた、進歩的かつ実際的な書で、軍学者のみならず蘭学者からも絶賛を受けている。この書は日本の知識人に進歩的実践的な軍事的教養を叩き込み、後に、日本がスムーズに洋式兵学を受容し軍事的に近代化するための、知的基礎を整えたとさえ言うことができよう。 このような意味で軍事史上の重要文献である本書であるが、また戦国期の軍事の入門書としても、なかなか有益である。荻生徂徠は代々軍事に詳しい家系の生まれで、戦国期の実戦経験者の言葉を、実戦経験者自身から直接、あるいは実戦経験者の親類から間接に聞く機会に恵まれていた。そのため本書には、江戸期の多くの軍

        • 兵学の部屋

          ◆◆◆ 兵学の部屋 ◆◆◆ ◆チャーチル(1938年3月24日)◆ 二年前にはヒトラーと対決しても安全であった。 三年前には極めて容易であった。 四年前にはただ一通の外交文書で始末できたはずだ。 ◆兵法36計◆ ◆孫子の兵法◆ ◆孫子の兵法 要約◆ ◆韓非子◆ ◆クラウゼヴィッツ◆ ◆六韜◆ ◆三略◆ ◆マキアベリ◆ ◆尉繚子◆ ◆呉子◆ ◆統帥綱領・作戦要務令◆ ◆一言◆ ◆資料 米海軍情報部の国際情勢要約 1941年11月1日版◆ ◆資料 米海軍情報部の国際情勢要約 1941年11月15日版◆ ◆資料 米海軍情報部の国際情勢要約 1941年12月1日版◆ ■ 戻る ■

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