加藤幹郎 著 映画はいったいどこで見るべきものなのだろうか。ホームヴィデオの普及以降一般的になった、個人的な鑑賞は、はたして映画の本来的な姿から遠ざかってしまったものなのだろうか。本書は、黎明期から今日までの一一〇年間の上映形態を入念にたどりながら、映画の見かたが、じつは本来、きわめて多様なものだったことを明らかにする。作品論、監督論、俳優論からは到達し得ない映画の本質に迫る試みである。 書誌データ 配信開始日2013/7/15 判型中公eブックス 希望小売価格946円(10%税込)
溝口健二監督『残菊物語』は驚くほどのスピードで、原作小説掲載、新派上演を経て、映画化された。 一九三七年(昭和一二年)九月、『サンデー毎日』秋季特別号に村松楓風(しょうふう)の短篇小説『残菊物語』が掲載され、同年一〇月には巖谷三一(愼一)脚色、川尻清譚演出によって明治座新派興行で上演された(菊之助を花柳章太郎、お徳を水谷八重子、五代目菊五郎を喜多村緑郎)。花柳が原作を読み舞台化を希望したという。その好評により、二ヶ月後の一二月には明治座で同じく巖谷脚本、花柳主役で『続残菊物語』が上演されたが、これは原作の末章「残んの花」にあたる帰京後の菊之助の復活から、お徳と同じ病による死までである。 そして早くも一九三九年(昭和一四年)一〇月には松竹と溝口健二によって映画『残菊物語』が公開された(菊之助を新派舞台と同じ映画初出演の花柳章太郎、お徳を同じく新派の森赫子(かくこ)、菊五郎を二代目河原崎権十郎
加藤幹郎 著 映画はいったいどこで見るべきものなのだろうか。ホームヴィデオの普及以降一般的になった、個人的な鑑賞は、はたして映画の本来的な姿から遠ざかってしまったものなのだろうか。本書は、黎明期から今日までの一一〇年間の上映形態を入念にたどりながら、映画の見かたが、じつは本来、きわめて多様なものだったことを明らかにする。作品論、監督論、俳優論からは到達し得ない映画の本質に迫る試みである。 書誌データ 初版刊行日2006/7/25 判型新書判 ページ数320ページ 定価990円(10%税込) ISBNコードISBN978-4-12-101854-0 書店の在庫を確認 ❑紀伊國屋書店 ❑丸善&ジュンク堂書店 ❑旭屋書店 ❑有隣堂 ❑TSUTAYA
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