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太宰春台の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 10 知の巨人 荻生徂徠伝 佐藤 雅美(2014) - 小説を 勝手にくくって 20選!

    知の巨人 荻生徂徠伝【電子書籍】[ 佐藤 雅美 ] 価格: 748 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 父は館山藩主の徳川綱吉から言われなき勘気を被り、江戸を追放されて上総国の片田舎に流さる。子の荻生徂徠は乏しい書物を独学で読み下して、旺盛な向学心を満たしていた。すると突然に父が赦免され、徂徠は単身江戸に戻り、芝は増上寺の近くの豆腐屋の裏手の長屋に塾を開く。しかし徂徠は独学で学んだため、漢文をレ点、返り点を使わない「従頭直下」、頭から下に読む方法に固執し、来塾希望者も退散してしまう。しまいには食事にも不自由して、裏手の豆腐屋から施しを受けるほどの窮乏状態になる。 しかし徐々に独特の教え方と知識が評判になり、学問好きで五代将軍となった鋼吉の側近、柳沢吉保が徂徠を招く。当初は小禄で、朝6時から夜10時までひたすら漢書の素読を門人にさせる日々が続くため、自らの研究時間がないことに苛立ちを覚えていた

    • 正名 (思想) - 正名 (思想)の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

      ウィキペディア 索引トップ ランキング カテゴリー 正名 (思想) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 10:24 UTC 版) 藤田幽谷。江戸時代に『正名論』を著した。→#江戸時代 概要 「正名」という語句は、『論語』の中の孔子の教えに由来する。具体的には、『論語』子路篇における、子路と孔子の会話に由来する。 【原文】 子路曰:「衞君待子而爲政,子將奚先?」子曰:「必也正名乎!」子路曰:「有是哉?子之迂也!奚其正?」子曰:「野哉,由也!君子於其所不知,蓋闕如也。名不正,則言不順;言不順,則事不成;事不成,則禮樂不興;禮樂不興,則刑罰不中;刑罰不中,則民無所措手足。故君子名之必可言也,言之必可行也。君子於其言,無所苟而已矣。」[1] 【書き下し】 子路曰く、衛君、子を待って政を為す。子将に奚をか先にせんとす。子曰く、必ずや名を正さんか。子

      • 常山紀談 - Wikipedia

        『常山紀談』(じょうざんきだん)は、江戸時代中期に成立した逸話集。簡潔な和文で書かれており、本文25巻、拾遺4巻、それと同じ内容を持った付録というべき「雨夜燈」1巻よりなっている。著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた徂徠学派の儒学者・湯浅常山。 原形(自序)は1739年(元文4年)成立。完成は1770年(明和7年)とされる。戦国武将の逸話470条を収録。いわゆる勧善懲悪ではなく、複数の有名な逸話を短く編集して主題ごとに一つの条にまとめて、評論を加えずに淡々としるしている。 草稿(自序)の完成は比較的早期に行われたが師匠である太宰春台の意見を入れて徹底的な再改稿を行い30年かけて満足のいく形に完成させたといわれる。常山は1781年(天明元年)に74歳で死去し、本書の版本での初刊は死後20年後のことであった。『名将言行録』(江戸末期・岡谷繁実著)の原形(模範)ともいえる。 逸話集の形体は、事実を重

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