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宇井純の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 罪の取り戻し 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』 - 降りていくブログ

    昨日のDIY読書会、「宇井純さんの自主講座「公害原論」の15年」を発表する。 修復的司法の研究をされている小松原織香さんがされている環境と対話研究会の読書会で知った本。 当時は公害に向き合える学問分野などなく、公害に向き合おうと思えば、自分たちでゼロからはじめなければならなかった。 東大工学部の教授たちにとっては、大学の教壇を助手や一般市民などに使われることは沽券にかかわるようなことだったようだ。圧力がかかったが、協力的な新聞記者が記事を書き、その加勢で大学が動き、自主講座が認められた。 自主講座なのは、宇井さんが工学部助手という立場であるために、大学の正規の講座とは認められないため。当時は助手差別もひどかったようだ。自主講座は70年10月から86年2月まで続けられた。工学部は宇井さんを昇進させず、辞めるまでずっと助手に据え置いた。 自主講座からは市民エネルギー研究所をはじめ、様々な自律的

      罪の取り戻し 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』 - 降りていくブログ 
    • 宇井純「公害原論 補巻III(公害自主講座運動)」(亜紀書房) 著者が現場にいって被害者や支援者を前にした出張講座の記録。 - odd_hatchの読書ノート

      サブタイトルは公害自主講座運動。もともとは東大の開いている教室を使って始めた自主講座。お代は200円。つまらないと思った人には返す。その結果、講師も聴衆も緊張感が出て、長続きする運動になった。そこから各地の公害運動の支援や情報交換役や記録係になった。それでも戦後、行政が企業の片棒を担ぐようになって公害運動はなかなか勝てない。しかし、そこから、 「足尾にしても、日立にしても、明治時代にはじまった煙害さえ今日これほどの努力を呑みこみながら解決していない。まして現在の公害が、一年や二年の努力で片がつく位ならば、初めから苦労するはずがないのである。やりはじめたら、一〇年は手を放すな。(Piii)」 という励ましになるのである。この巻では、現場にいって被害者や支援者を前にした出張講座の記録。 初出は1974年。「公害原論」のタイトルで本になったのはここまで。自主講座はこの後も継続する。 個人的な公害

        宇井純「公害原論 補巻III(公害自主講座運動)」(亜紀書房) 著者が現場にいって被害者や支援者を前にした出張講座の記録。 - odd_hatchの読書ノート
      • 環境の世紀VIII-駒場の学生にできること(宇井純)-

        このように皆さんの前で話をするのは、実は長いこと考えられないことでした。私はかつて、東大工学部の都市工学科の助手を21年間つとめていました。助手が教授の命令なしに自分で講義を用意して学生に聞かせることは、制度上できませんでした。教授会の申し合わせという確かめようのない制限のおかげで、私は21年助手をやりながら学生実験担当助手という極めて制限された場を除いては一切学生にさわることができなかった。しかし、そのような場所のなかでいろいろなことを試みた一端を、91年にNHK人間大学の一連の講義で話しました。「水が生活の中でどのように我々生命に関わるか」という話に始まる、公害問題をも含む内容です。これが私の仕事の一つです。 もうひとつは、下水を処理して再利用するという下水処理の実験研究です。これは今でも続いています。私が自分で化学実験を初めてやったのは、小学生の2年生でした。ジャガイモをつぶしてデン

        • 宇井純氏が導入した下水処理技術:酸化溝(オキシデーション・ディッチ) - 虚虚実実――ウルトラバイバル

          宇井純氏が導入した下水処理技術:酸化溝(オキシデーション・ディッチ) 今は亡き、公害問題の第一人者、(そして私の先生の一人:東京大学工学部都市工学科助手であった)宇井純氏は多才な人でしたが、彼がオランダ・デルフト市にある下水処理場を見学し、その施設:オキシデーション・ディッチ(日本語に訳すと「酸化溝」)に興味を抱き、数日滞在して、これを観察したそうです。開発した技術者が言うには、「この施設を訪れる日本人は多いが、貴方のように長く滞在して観察する人は他にはいなかったな。」と。 宇井純氏はこのオキシデーション・ディッチの原理を理解し、彼本人も、この技術を日本に広めるべく、彼に理解のある個人・団体の下水処理プラントを建てて、実証実験をしていました。私も一時期、それに加わっていたことがあります。 下水処理技術の根幹は、まず水中の「有機物」の分解です。有機物とは、炭素原子(C)が核になり出来上がった

            宇井純氏が導入した下水処理技術:酸化溝(オキシデーション・ディッチ) - 虚虚実実――ウルトラバイバル
          • (編集者がつくった本)「宇井純セレクション(1)原点としての水俣病」 新泉社・安喜健人さん:朝日新聞デジタル

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              (編集者がつくった本)「宇井純セレクション(1)原点としての水俣病」 新泉社・安喜健人さん:朝日新聞デジタル
            • 10/16 DIY読書会発表原稿 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』 - 降りていくブログ

              【はじめに】 小松原織香さんが開いている環境と対話の会で扱われていた本。1970年から1986年まで東大で行われた自主講座の講演録。公害を扱う学問がないなかで、自ら学ぶ場を作った活動。野外で行われた講演には1000人がきたこともあった。1970年からこんな大きくユニークな活動がされていたのかと驚いた。公害の問題の構造(企業寄りの行政、専門機関である企業の隠蔽と改ざんなど)は現代とまるで変わるところがないように思える。時代に対して、変わらない問題に対して、自分たちで学びの場をつくるとはどういうことかをこの本を通して考える。 【読んだところ】 第一部 Ⅲ 現場からのレポート 1、銚子火力反対運動から 2、イタイイタイ病論争 3、高知生コン闘争 4、白杵・大阪セメント反対運動 5、マンション建設反対運動 6、高知生コン闘争、その後 7沖縄アルミ工場進出阻止の運動から 8、東京都の公害現場にて Ⅳ

                10/16 DIY読書会発表原稿 宇井純『自主講座「公害原論」の15年』 - 降りていくブログ 
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