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山さ行がねがの検索結果361 - 400 件 / 468件

  • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道53号会津高田柳津線 赤留不通区

    福島県道53号「会津高田柳津線」は、会津盆地の西南端に位置する歴史ある商都高田と、奥会津の玄関口に位置する寺と温泉のまち柳津を結ぶ、全長20kmの主要地方道である。 起点と終点付近以外は会津山地の山中を通る山岳路線であり、赤留(あかる)峠と市野峠という2つの峠が控えている。 また、柳津と高田を結ぶ交通量自体あまり多くないことから、比較的閑散路線といえる。 とはいえ現役の県道であり、この程度の縮尺の地図では特に“異変”に気づくと言うこともない。 というか、ドライバー的には全くそれで問題がない。 あなたが普通に道路標識に従って車を走らせていれば、ちゃんとこの県道は高田から柳津、或いはその逆へ移動させてくれる。 問題ない。 だが、縮尺の大きな道路地図(左画像は「スーパーマップルデジタル11」)で、この赤留峠と市野峠の間に挟まっている谷…二岐(ふたまた)地区を見てみると、小さな“異変”に気

    • 【山さ行がねが】道路レポート 群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区

      【周辺地図(マピオン)】 利根川の源流は群馬県みなかみ町にあるが、この本流沿いの最も上流に位置する集落が大芦だ。 一帯は関東の電力需要を支える大電源地帯で、利根川の本流支流を問わず幾つものダムが建造されており、集落のすぐ上流に須田貝(すだがい)ダムが、下流には藤原ダムが控えている。 右の地図を見て貰いたい。 ここを通過する県道63号水上片品線は、須田貝ダムの脇を小さな峠で乗り越しているのだが、その下に一本のトンネルが描かれている。 一見すると峠を迂回する新道のように見えるのだが、この道、最新の地形図では別の描かれ方をしている。 敢えて左の地図中にはなにも書き加えなかったが、上の地図と比較して貰えば、どこに“トンネルがあるべきか”分かるだろう。 … …… ……… そう。 地形図にはトンネルは描かれていない。 「これは何かあるな。」 トンネルの消失という事態に強烈な廃の香りを感じ取った私は、

      • 【山さ行がねが】廃線レポート 東北鉄道鉱業線 国境峠付近

        東北の鉄道史の中で、おそらくもっとも大規模な未成線と言えるのが、大正期に計画され、実際に着工した記録もある「東北鉄道鉱業線」である。 この鉄道は、(株)東北鉄道鉱業が自社の経営する小川炭坑から石炭を積み出すことを第一の目的としつつ、当時まったくの鉄道空白地帯であった岩泉や宮古地域の旅客輸送をも睨みつつ計画されたもので、小川炭坑に近い門(かど:現・岩泉町)からおおむね馬淵(まべち)川に沿って北西へ進み、葛巻を経て小鳥谷(こずや:現・一戸町)にて東北本線に接続する約55kmと、やはり門から東へ岩泉川に沿って進み、岩泉を経て太平洋岸の小本(おもと:現・岩泉町)へ、さらに沿岸を南下し茂師港(もしこう)に至る約40km、この2線をあわせた100km近い本線。さらに岩泉町の落合から分岐し、押角峠を越えて新里村の茂市(もいち)へと至る約30kmの支線(現在の岩泉線にほぼ一致)を含む、当時の計画延長におい

        • 道路レポート

          で、私としては「通行不能」などと言われれば、もちろんどっちも興味津々というわけで、 去る05年9月24日とその翌日にかけ、この二つの大峠にアタックし、 結果として、一つを制覇、もう一つは、失敗した。 本稿で紹介するのは、このなかで失敗した方の大峠である。 その名も、山形県主要地方道3号(米沢南陽白鷹)線、大峠だ。 問題の通行不能区間の周辺図が右。 路線名の通り、米沢市から北上し南陽市、さらに北上して松葉沢山を大峠で越え、白鷹町に至る。 全長は約35kmで、そのうち5.2kmが通行不能区間として公式に案内されている。 こちらの「大峠」は決して高い峠ではなく、その気になれば越えられそうな気さえする。 なんと言っても、海抜1156mの日本一大きな?大峠を突破したその日のことであるから、「こんな大峠なんて、小さい小さい。」などと、鼻歌交じりで突破する予定であったのだが…。 結果は無惨な、惨敗。 も

          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道101号線 五里合狭区 前編

            レポのタイトルからして、どんな道が現れるのか、おおかたの読者には予想が付いてしまったかも知れない。 だが、このレポを最後まで読み終わった頃には、あなたの中でタイトルの中の「狭」の字は、それとよく似た形の、別の“字”に変わっていることだろう。 国道101号線は、なんとなく目を引く路線番号だ。 だが、秋田県や青森県の限られた地域に住む人以外には、あまり馴染みがないというか、なんとなく道路地図を見ていても、なかなか見つからない路線である。 決して路線長が短いわけではなく、全長は272kmもあり、これは3桁国道の平均的な長さを上回る。 また、起点と終点を知れば、何故マイナーなど言われるのか、首をかしげる方も多かろう。 起点は、青森市。 終点は、秋田市である。 北東北の2県の県庁所在地を結んでいる。 この路線が、マイナーだと言われるのは、このうち60kmあまりが国道7号線と重複していることも大きい。

            • 小ネタ集

              2003.3撮影 山形県西田川郡温海町 大沢 新潟市から概ね日本海に沿う形で北上、山形県の沿岸部を経て、秋田県秋田市に至る、国道7号線。 海沿いの狭隘な土地を縫うように走る場面が多く、都市部を除いては迂回路の少ない国道である。 その巨大な通行量に対応するために、古くから至るところでバイパスが設置されてきた、そしてその度に旧道が生まれている。 山形県の温海町、新潟県に接するその南端近く小岩川の集落にも、例によって旧道がある。 最も海に近い場所を現道が走り、その山側に集落と旧道が残るという、よくあるパターンの道だ。 その旧道で、私の前に現れた橋が、「巌橋」だった。 橋を渡ってまっすぐ集落の中を進む道が旧国道である。 集落に溶け込んでおり、余り存在感のある橋ではないのだが、ぱっと見に「古いなコレ」と感じさせた。 気になって、親柱に埋め込まれた白い銘板を確認してみると…。 半ば消えかけたその名は『

              • 【山さ行がねが】ミニレポート 第98回 国道455号旧道 岩泉町牛畑地区

                国道455号線は平成4年に国道昇格を果たしたばかりの、東北ではもっとも新しい国道の一つである。 それまで県道だった路線をいくつかつなぎ合わせ、盛岡と太平洋岸の岩泉町は小本港までが指定されている。 このラインは県都と、著名な観光地である龍泉洞、それに三陸海岸などを繋ぐ重要な路線として、国道指定後特にピッチを上げて改良工事がなされ、現在では冬期間でもその全区間を通行することが出来るまでになった。 道中最大の難所である早坂峠に長大なトンネルが穿たれる日も、近いだろう。 快走路へと生まれ変わりつつある国道455号線であるが、その大部分は従来道路の拡幅や比較的規模の小さな線形改良によっており、大がかりな旧道はあまり見られない。 これまでもいくつかの旧隧道や旧道を紹介してはいるが、どれも規模は小さかった。 今回紹介する旧道もまた、わずか300mほどのミニ旧道である。 しかし、小さくてもなかなかに骨のあ

                • 【山さ行がねが】橋梁レポート 一般国道342号 祭畤大橋 “廃橋三昧”

                  国道342号は、秋田県横手市と宮城県登米(とめ)市を結ぶ全長約170kmの一般国道で、途中には奥羽山脈を越える標高1100mの須川峠がある。 峠の太平洋側は岩手県一関市にあたり、道はその中心市街地から県境の峠の近くまで、北上川の支流である磐井川に沿って続いている。 沿道には奇岩巨石が林立する厳美(げんび)渓や、厳美温泉、真湯(しんゆ)温泉などの温泉場があり、秋田、岩手、宮城三県を結ぶ観光ルートとしても重要な路線である。 そしてこの途中、市野々原と真湯温泉の間にある祭畤地区で支流鬼越沢を跨いでいるのが、祭畤(まつるべ)大橋である。 祭畤地区の標高は300~350mくらいで、東北自動車道の一関ICから23kmの地点、周囲は山である。 「田へん」に「寺」、見慣れない「畤」という漢字だが、本来の読みは「じ」である。字義は「留める」というようなものらしく、熟語の「霊畤(れいじ)」は「神を留める場所」

                  • 【山さ行がねが】隧道レポート 山形県道252号木地山九野本線旧道 管野隧道

                    このたび rinsei氏よりもたらされた、「今を逃したら、おそらくもう二度と見るチャンスのない景色」という言葉に誘惑され、やって参りましたのは【ここ】。 山形県は南西部、置賜(おきたま)盆地の西北端に位置する長井市だ。 木地山(きぢやま)山中に源流を持ち、深い渓谷を縫って長井市九野本(くのもと)で置賜盆地へ流れ出る野川(最上川支流)は、昔から季節的な水量の変動が激しい典型的な急流河川として、下流域の住民生活に多大な影響を与えてきた。 そのため、管理者である山形県も治水と発電利用に多大な関心を持ち、昭和29年には県内最初の多目的ダムとして中流に管野(かんの)ダムが、同36年には上流に木地山ダムが相次いで完成した。 そして、この2つのダムの建設に必要な輸送を一手に担ったのが、当初はダム工事道路として建設された県道「木地山九野本線」(路線認定は昭和34年)であった。 こうして山形県による置賜野川

                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第143回 長滝沢の“ファンタジー橋”

                      【現在地をmapionで見る(別ウィンドウ)】 “ファンタジー橋” この語から、あなたはどんな橋を想像するだろうか。 私と細田氏が、出会うなりそう命名した橋の姿を、ご覧いただこう。 橋が見えますか? → ここは秋田県北秋田郡上小阿仁村。 いまも林業が財政的基盤であるこの村には、昭和40年代まで小阿仁林鉄とその支線が根のように張り巡らされていた。 長滝沢という全長20kmほどの谷に沿って存在していた長滝沢支線の痕跡を求め、細田氏の運転で沢沿いの林道(軌道跡を転用していた)を走っていた際に、この橋は「発見」された。 自動車運転中に予想外の発見をすることを、私と細田氏は昔から「チョットチョット」と呼んでいるのだが、これなどは典型的なチョットチョットであった。 そして、私は細田氏のチョットチョットの力には大変感服している。 大概のチョットチョットは細田氏によるものだからだ。 この景色から運転中に

                      • 隧道レポート

                        秋田県の南部内陸は広大な丘陵地帯に覆われている。 ここを出羽丘陵と呼ぶが、中でも仙北郡に属する一帯は、標高500mを越えるような高所の少ない丘陵の中でも特に低山が多い。 凸凹のような山々と無数の沢が不規則に広がり、人里に近かったことから驚くほど奥まで耕地化されている。 そこには、縦横無尽に小規模な道が張り巡らされていて、部外者にはまるで迷路のよう。 それでも、近年は縦貫するように広域農道が完成しており、バイパスとしてここを利用す地域外の車は多い。 もはや、その広域農道を除いては、多くの道が存在意義を失いつつあり、廃道化した道も少なくない。 そのうちの一つ、西仙北町大沢郷宿から南外村楢岡に抜ける峠道を紹介しよう。 広域農道は出羽グリーンロードという愛称で呼ばれている。 丘陵中では幾度と無く他の道と交錯するが、信号が設置されている場所は無く、この峠道に至る分岐も車なら一瞬で通り過ぎてしまう。

                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道7号旧線 笠取峠

                          笠取峠。 ここは日本最大級の遊歩道網である「新奥の細道」に指定されている、現役の遊歩道である。 そして、その入口近くにある案内板には、次のように説明書きがある。 (抜粋) 笠取峠は、旧羽州浜街道のうち山浜通りである三瀬村より小波渡村までの山路で、昔、旅人が峠を越えるときかぶっていた笠が、日本海より吹き上げる強風で顔に結んでいたひもを残してとられることから名付けられたと言われています。 この道筋が地図に描かれている事は前から知っていたのだが、このような説明書きがあることから、これは古い時代の道筋であって、平行する国道7号線の旧道は別に存在する物と考えていた。 しかし、東北建設協会の発行する『語り継ぐ道づくり~東北の直轄国道改修史[国道6号・7号]』によると、そうではなく、昭和36~39年に行われた三瀬~小波渡間の一次改築工事より前には笠取峠が国道だったらしい。 半信半疑の気持のまま、私は地図

                          • 橋梁調査隊

                            私の住む秋田市に、相当に古い起源を持ちそうな橋を見つけたので、報告します。 いかにも、年季の入ったこの名前「伽羅橋」は、珍しいものと思ったが、Googleで検索すると、実は結構全国にあるものらしい。 ちなみに、この読み方は、あとの写真を見てもらえればわかると思います。 では、昭和15年に改修されたと言う、現在の伽羅橋をご覧ください。 写真上にポインターを置くと、説明文が表示されます。 この橋があるのは、かつて羽州街道と呼ばれた道筋で、現在は、秋田市道に組み込まれている。 秋田市民には国道7号の旧道がいまも“新国道”と呼ばれているが、それに対する“旧国道”と呼ばれる、現道から見れば旧旧道といえる道の、さらに旧道だ。 ようは、旧旧旧道というわけだ。 近くには中世の城柵跡である秋田城址を始め、多くの史跡が残る地域でもある。

                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                              この小国町界隈の国道113号線には、かなりの数の旧橋・旧旧橋が存在しており、しかも、それらの多くが何らかの遺構を今に残している。 それらのうち主な物を表したのが、上図である。 このレポを執筆している段階では、東から見て行って、宇津峠・上杉橋・下杉橋、そして少し飛んで松栗沢橋を紹介している。 そして、今回は、明沢橋とその前後の旧道区間を紹介したい。 一連の旧道は、国道113号線を西進する時、現道の沼沢トンネルの手前で左に別れる。 この先はJR米坂線羽前沼沢駅を中心とした沼沢の集落であり、旧道は生活道路として大切に利用されている。 旧道に折れると即座に線路を渡る。 そして、間瀬川に迫り出した巌を切り取ったカーブの向こうに集落が見えてくる。 この場所の景色は、少しばかり目を惹く。 もともとは山際から続いていたはずの尾根が鉄道と旧国道に連続して切り取られており、尖塔のような小山を残しているのだ。

                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 千葉県道296号和田丸山館山線旧道 旧遠藤隧道

                                平成18年3月に、に房総半島南部にある6町1村が合併して誕生した南房総市。 東本州では最も温和な一帯として知られ、冬でも菜の花が咲き、街路樹にシュロや椰子が使われている。 西は東京湾、東は太平洋に面する広大な面積を擁するが、その大部分は細かな起伏の丘陵地帯になっている。 そして、随所にトンネル・隧道が存在している。 『明治工業史 土木編』によれば、明治時代に新たに掘られた全国の隧道は358本(この数字は、県道以上と思われる)。 その20パーセントを越える76本が千葉県域にあったというから、当時間違いなく日本一の隧道保有県であった。 半島の地質が隧道を掘るのに好条件であったことはもちろん、江戸時代から“川廻し”というトンネルによる河川改良を民間レベルで多く経験してきたこと、また、古くから山間部にも人里が開けて里々を繋ぐ交通路が多く拓かれてきたことなどが理由にあると思う。 「山行が」でも、半島

                                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                  今回は、林道だ。 「山行が」では、ここんとこかなりご無沙汰だった林道ネタである。 名は、ソッケ林道。 あ、待って。 名前だけの一発ネタだと思った人、待って! ちゃんと、廃道だからサ。 寄っていってよ、ちょっと。 国道341号線における、田沢湖町から鹿角市への80km近い山越えルートの前半は、ほとんどダム湖の景色である。 生保内から続く集落が尽きると、間もなく長いトンネル二本が現れる。 2本目のトンネルを出ると、エメラルドブルーの湖が左に現れる。 これが、鎧畑ダムの作る秋扇湖。 さらに、ダム沿いを橋の連続で進むと、ひときわ巨大な玉川大橋を経て、再び車窓はトンネルの連続を迎える。 そして直後、さらに広大な水面が目の前に現れる。 玉川ダムの形成する宝仙湖である。 この先、国道は延々10km近くこの湖の縁を走ることになる。 平成元年に多目的重力式コンクリートダムとして完成した玉川ダムは、県内最大の

                                  • 隧道探険隊

                                    当隧道の正式な名称と竣工年度および林道の名称を、『山形の廃道』サイトの作者fuku様よりご教授いただきました。 ありがとうございます! 名称:日山隧道 竣工年:昭和9年 林道名:西郡林道 以上の内容を踏まえ、レポート本文を一部手直ししました。 山形県は最上郡の山中に人知れず朽ち行く隧道がある。 その名を、日山隧道という。 鮭川村西部の山間部を激しく蛇行しつつ流れる、その名も曲川。 その曲川沿いに点在する隠里のような山村地帯が西郡である。 西郡から標高294mの小山である日山の真下をくぐり、真室川町へと抜ける林道は西郡林道と呼ばれるが、そこに廃隧道がある。 他に迂回路のない隧道が廃道化しているのだから、これは比較的珍しい。 考えられる理由は、あまりに通行量に乏しく自然消滅的に朽ちて行ったか。 それとも、…災害などによる甚大な被害による“突然死”か。 この峰越の隧道に迂回路はない。 故に、万が

                                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 大沢田隧道 東北本線 (前編)

                                      2005年の春に山行がが挑んだ隧道の一つに、この大沢田隧道がある。 これは、東北本線の旧線の隧道で、右図の通り、この隧道があるのは宮城県と岩手県の県境部である。 ただし、この県境にある東北本線の隧道としては、有壁隧道がとみに有名であり、この大沢田隧道はこれまで商業誌ベースで取り上げられたこともない、ひっそりとした旧線である。 おなじ県境にある有壁隧道と大沢田隧道だが、これらは親子の関係にある。 東北本線がまだ日本鉄道株式会社によって敷設されていた頃、明治23年に完成したのが有壁隧道である。 そして、この有壁隧道が老朽化し、また前後の線形も良くなかったことから、日本国有鉄道が路線を約2kmほど西に移設した折に建設されたのが、大沢田隧道である。 こちらは、大正の13年生まれだ。 よって、いずれも県境を貫く隧道である。 そして、この一ノ関と清水原駅の間の峠越えの隧道は、この二本だけには留まらず、

                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第106回 枡沢隧道

                                        山形県北東部、北に秋田県と接する最上郡金山町の南縁に、桝沢ダムがひっそり水を湛えている。 昭和36年に完成した同ダムは、全国でも比較的数の少ない、農林水産省直轄ダムの一つである。私も今回のレポを書くために調べるまで、そのようなものがあることを知らなかった。 管轄省からも予想が付くとおり、このダムの目的は農地灌漑にある。 そして、現在は東北農政局が管理しているこのダムへ行く道には、一つの隧道がある。 地図上ではとても小さく描かれ、ダムへ行く以外にはどこへも通じていない隧道である。 見に行ってみた。 金山町中心部から舗装路を約5km、金山川が形作る扇状地の南端である下明野地区から、その支流である枡沢川を遡って東へ進むと、やがて眼前に一つのダムが現れ、谷をめいいっぱい塞いでいる。 ダムサイト上にまるで飛行場の管制塔のような建物が目立つ桝沢ダムで、重力式コンクリートダムの堤高は60mある。 湖畔へ

                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                          世界遺産白神山地の懐深く、素波里ダムより粕毛林道を10kmほど進むと、一取林道という細道が左に分岐している。 入り口には「奥素波里」と言う行き先が、古い木の標柱で案内されているが、その終点にあるものは、長い長い林鉄跡くらいなものだ。 まさに、我々オブローダーと釣り人専用道の様相を呈している。 一取林道は、荒れたダートで、乗用車ではヒヤヒヤする場所が多いが、入り口から2.5kmほどで、写真の吊り橋が林道脇に現れる。 これより先林道は間もなく終点の広場となる。 この日、粕毛林鉄の源流部踏査のため、初めてここへ入山した我々、私とパタリン氏くじ氏の3名による合調隊は、威容を誇る吊り橋に釘付けとなった。 特に私は、たまらなく惹かれるものがあった。 錆が浮き触るのも憚られるような鉄製のタワーが、林道の路肩に立っている。 メインケーブル2本は林道の頭上を跨ぎ、のり面の岩盤へ打ち据えられている。 もとより

                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート 鎖大師参道の隧道

                                            今回の物件は、このあたり。 →【周辺地図(マピオン)】 のんびり地図を眺めていたら、鎌倉市の西の外れあたりに小さな小さな隧道の記号を発見。 地図を思いっきり拡大しないと表示されなかった。 まあ、小さいだけで特に何かありそうってわけじゃないけど、この辺りを探索するついでに、見てみることにした。 隧道が描かれていたのは、鎌倉市の西縁に沿って大船駅付近(山崎)と江の島付近(腰越)を結んでいる神奈川県道304号「腰越大船線」沿いで、この道が西鎌倉地区がある丘陵地帯を乗り越える小さな峠道の途中だった。 地名表記でいえば、鎌倉市手広2丁目地内である。 では、まいろう。 2008/6/27 11:35 《現在地》 県道32号の手広交差点を右折し、県道304号を腰越方面に向かう。 おおよそ600mで道は徐々に上りはじめ、本格的な坂道を前にしてこの風景を迎える。 左に見えるのが県道304号、右に分岐している

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第168回 国道136号旧道 旧妻良隧道

                                              お馴染み『道路トンネル大鑑』に記載のある隧道。 名前は妻良隧道。妻良はやや難読だが、これで「めら」と読む地名である。 妻良隧道 路線名 主要地方道下田石廊松崎線 箇所名 南伊豆町妻良 延長99m 幅員5m 高さ4.5m 竣工明治34年 一部素堀、路面未舗装 そこには、はっきりと隧道のステータス…「明治生まれ」であることが記されている。 これまでの調査で、伊豆半島内には全部で16本の明治生まれの隧道が確認されており(現存しないものも含む)、そのうち半島南端に位置する南伊豆町(みなみいずちょう)には、3本の明治隧道がある。 明治25年生まれの青市隧道(仮称)、同31年生まれの一条隧道(仮称)、そして同34年生まれの妻良隧道である。 また、16本の明治隧道中、最も南に位置しているのもこの妻良隧道だ。 妻良隧道の所在地は、ここにある→ 【周辺図(マピオン)】 『道路トンネル大鑑』が執筆された昭和

                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第176回 国道411号旧道 大常木~一ノ瀬

                                                「ああ、新道の工事してるな~」 って、前から思ってた。 その新道が最近開通した事を聞いた私は、これまで何度も通った旧道がどうなったのかを、見に行ってみる事にした。 実は、mixiの山行が応援コミュの投稿から、その入口が「無事でない」ことを知ってしまったので、なおさら気になったのだ…。 【所在地(マピオン)】 今回紹介するのは、国道411号の旧道のうち、大常木(おおつねぎ)バイパスと一ノ瀬高橋バイパス(いずれも山梨県事業名)に対応する部分である。 これらのバイパス(現道)の開通は平成23年11月だから、旧道歴は1年足らずに過ぎない。 国道411号は東京都八王子市と山梨県甲府市を結ぶ一般国道で、通称青梅街道。東京都奥多摩町や山梨県丹波山村といった山間部を通行する関東有数の山岳国道だが、第一次緊急輸送道路指定の重要路線でもある。 また、この付近の国道411号は多摩川の谷底近くを通行しているが、

                                                • イベントレポート 廃道ナイト!2010早春 オブローダー総決起集会!!

                                                  【所在地(別ウィンドウ)】 2010年1月30日に東京有明にある東京カルチャーカルチャーにて、大規模なオブローダーの集い「廃道ナイト!2010早春オブローダー総決起集会!!」が行われた。 出演者は私ヨッキれん、nagajis氏(日本の廃道)、ミリンダ細田氏(スペシャルゲスト)、シンスケ横山氏(司会進行)の4名。 探索者は118名(チケットSOLDOUT)の精鋭たちである。 今回は熱気に包まれたイベントの模様を、実業之日本社の磯部氏撮影による写真を元にレポートする。 カップル達が寄り添う巨大な観覧車の元、煌々とネオンを灯し始めた“カルカルの門”。 この中で、廃を秘めた男たちが着々と準備を進めている。 また、一番乗りのお客さんは、午後4時半過ぎにはもう着いていた。 会場スタッフの手で描かれた、“道しるべ”。 2本の道が分かれるように描かれているが、再び交わる事はあるのだろうか…。 その中に燦

                                                  • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧 鵜泊隧道

                                                    あなたは、鵜泊(うどまり)隧道と言う名の極細隧道のことを覚えているだろうか。 昭和42年の全国隧道リスト(『山形の廃道』にて公開中)に記載された信じがたいほどのロースペックぶり(延長=57m、幅員=1.5m、高さ=2.0m、竣功=明治31年、覆工=木造)に胸をうたれ、これまで二度捜索し、その二度目には遂に現道とは異なる隧道を付近で発見!(→隧道レポ「鵜泊隧道」) 一件落着と思われたが、そこで発見した隧道には、先のリストの数字とはどうしても符合しない点が幾つもあった。 延長はとても57mはなくて30mにも満たない程度であったし、幅員や高さについては記録より遙かに小さい歩くのがやっとというサイズであって、拡幅や崩落などで断面が大きくなるケースはままあるが、断面の縮小はなかなか考えにくい。素堀であれば尚更だ。 なんとなく納得できない気持ちはあったが、まさかあれだけ探したのに他に未発見の隧道がある

                                                    • 廃線レポート

                                                      「日本のTVA」と称された、北上川流域を舞台にした壮大な治水計画があった。 TVAとは、テネシー川流域開発公社のことで、アメリカの流域開発の嚆矢とされる。 河川開発を通じて地域経済のたて直しや、電源開発、耕地開発、治水などを総合的に行う事業として、1933年ごろに始められたものである。 日本でも、戦後これを手本に各地で河川開発が行われたが、その中でも、最大の規模を誇ったのが、北上川流域に五つのダムを設ける計画である。 そのなかでも、最大の規模を誇ったのが昭和39年に竣工した湯田ダムである。 竣工当時、日本最大の規模を誇る重力アーチ式ダムであり、その堤高は89.5mに及んだ。 この数字は、現在でも日本3位である。 そして、この巨大なダムが和賀川に誕生せしめた人造湖が、公募によってその名が決められた錦秋湖。 錦秋湖の湛水面積は最大630ヘクタールであり、これは現在でも、重力アーチ式ダムとしては

                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                        2003.11.5撮影 雫石町橋場 国道46号線の難所といえば、誰もがまず仙岩峠と答えるところだろうが、そのそばに小さくとも厳しい難所があった。 その名を、“へぐりの難所”と言った。 国道46号線を秋田から盛岡へと進み、仙岩峠を越えて進むこと10kmほど。 久々の集落である橋場に差し掛かる直前、峠から寄り添ってきた竜川の両岸に蒼蒼とした崖が迫る。 この先が、かつては“ヘグリの難所”と畏れられた道だが、現在の国道はここを避けるように二度、矢継ぎ早に竜川を渡る。 旧道は、真新しいガードレールで無造作に封鎖されている。 引き寄せられるようにして、ガードレールをチャリごと跨ぎ進むと、間もなく「びっくりマーク」が現れる。 仙岩峠の旧国道には、まるでシンボルマークのように点在する同標識だが、やや離れたこの地にも存在していたのだ。 ここで想定された「その他の危険」とはいったい何であったのだろうか? 補助

                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道12号旧道 八木沢峠

                                                          阿武隈高地は、宮城・福島・茨城3県の太平洋岸に連なる広大な丘陵性山地で、八溝山や霊山などがよく知られている。 昭和53年に出版された『ふくしまの峠(福島中央テレビ刊)』に「阿武隈高地最難所の峠」と紹介されているのが、福島県南相馬市(旧原町市)と相馬郡飯舘村の間にある八木沢峠(海抜520m)だ。 昭和52年に完成したという現道を行けば峠も遠く感じないが、旧道には7つの大曲りと23の小曲りがあったといい、ドライバー泣かせの難路として知られていたという。 また、この旧道は明治初期から2度にわたり開鑿された道であったともいう。 八木沢峠は典型的な“片越え”の峠で、原町側は鹿島区(旧鹿島町)橲原(じさはら)あたりから峠が始まり、約10km、高低差450mの長大な登りを要するが、一方で飯舘側は峠のすぐそばまで農地が広がっており、最も峠寄りの八木沢集落からは500mと離れていない。 峠の名は冠しているも

                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート 第113回 大森山林鉄 明神川橋梁

                                                            山間のいで湯、宮城県鳴子町鳴子温泉郷から西へ、国道47号を進む。 鳴子峡に架かる巨大な橋を渡り、中山平温泉を過ぎると、やがてあたりは高原的な疎林の風景となる。 しばらく緩やかな登りが続くが、ここは奥羽山脈のなかでも最も低い峠の一つである。 やがて下りに転じる頃には、そこは山形県の東の端、最上郡最上町だ。 更に進み、松尾芭蕉の句で有名な山刀伐峠方面へ行く県道最上尾花沢線との分岐を過ぎると、そのすぐ先で左手に大きな鉄橋が見えてくる。 ここまで、鳴子温泉から約20kmの道のりである。 鉄橋は国道からも見えるが、車通りの多い国道では落ち着いて見られない。 国道から下り、川との間にある田んぼの畦道へ。 それは、ご覧の通り巨大な鉄橋だ。 私がここを訪れたのは、2006年の七夕の日。 夕暮れ時だった。 この場所に鉄橋があると言うことは、前に東北のオブローダー仲間の間で話題となったことがあり知っていたが、

                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                              2003.11.5撮影 秋田県能代市 機織 今回はまた、皆様からの情報提供をお願いしたいと思います。 見つけたのは、謎の鉄道橋なんです。 もっとも、謎といっても、今度の物件はしっかりと地形図にも載っていたし、存在自体は疑う余地は無いんです。 では、その地形図をちょっとご覧頂いちゃいましょう。 これは、大正元年測量・昭和14年修正版の5万分の一地形図の一部分です。 写真の範囲は、奥羽本線の東能代駅駅の一帯ですが、いかがでしょうか。 見慣れない鉄路が、一本、描かれてますのに、お気づきになりましたか? それは、東能代駅のすぐ東より北に分岐し、全体がS字を描くようにして蛇行、わずか2kmほどで米代川に阻まれて終点となっています。 奥羽本線の支線のようでありますが、沿線には駅どころか、人家ひとつ無い様子ではありませんか。 貨物扱い専用の支線だったにしても、余りにも辺鄙な場所に何ゆえこのような線路が敷

                                                              • 廃線レポート

                                                                森吉森林鉄道。 「全国森林鉄道(JTBキャンブックス)」によれば、その全長は33.9kmとある。 国鉄阿仁合線(現:秋田内陸線)阿仁前田駅付近の貯木場に端を発し、小又川に沿って東進。 途中、森吉や小滝などの集落を経由しつつ森吉山北麓を通過、その終点は小又川源流に近い大杉集落にあったという。 さらに、途中からは幾つもの支線が延び、またその支線からも事業線と呼ばれた一時的な軌道が敷設されるなど、往時の森吉町には、県内の他の木産地に勝るとも劣らない遠大な鉄道網が存在していた。 それらは全て、昭和43年までに廃止されている。 この森吉森林鉄道には森林鉄道としては珍しい、ダム建設に伴う路線の付け替えという一大転機があった。 昭和28年に完成した森吉ダムの建設の際に、ダム下部の平田地区から終点間近の大杉地区まで小又川沿いにあった軌道を、湛水域から逃れるため、その南側の山中に付け替えたと言う記録が残って

                                                                • 【山さ行がねが】廃線レポート 小湊鉄道線旧線 上総久保~高滝

                                                                  【周辺図(マピオン)】 小湊鉄道が営業する小湊鉄道線は、千葉県市原市の五井駅から夷隅郡大多喜町の上総中野駅までを結ぶ、全長39.1km全線単線非電化の鉄道だ。 関東近郊の代表的なローカル線として有名な存在だが、上総久保駅と高滝駅の間に短い旧線が存在することは、あまり知られていない。 この線路変更については、なぜか『鉄道廃線跡を歩く8』巻末の「全国線路変更区間一覧」にも記載が無く、そのために線路変更の時期や事由など不明点も多いのだが、北から南に向かって現地の旧線跡を紹介していこう。 この探索は、情報提供者である「湯島のとも」氏および「R28」氏が同行案内してくださいました。ありがとうございました。 2008/3/15 15:07 《現在地》 市原市久保にある上総久保駅を南に出た線路は、小高い丘の裾を左カーブで回り込み、田んぼの中の長い直線に入る。 そして直線の先は細長い丘があり、これを右カ

                                                                  • 秋田小橋

                                                                    この風変わりな名前の橋、そのまま「あきたこはし」とよむ。 ついこの前までは、主幹国道7号の通う橋であった。 竣工は、昭和13年。 歴史あるこの橋の上には、バス停があった。 そのバス停の名は、「秋田大橋」。 河口間近の太い雄物川を一跨ぎにする長大な秋田大橋、その隣に、ちょこんと。 大橋の隣にある、小さな小さな橋。 だから、それは、秋田小橋。 この小橋は、もともとが、川に架かったものではなかった。 通うのは、単線の鉄路。 羽越本線の工業用支線である。 しかもそれは遠い昔に廃止されていた。 長く、草生した小さな溝を越えるためだけに、そこに在り続けた、けなげな小橋は、 ついに、その生涯を静かに終えたのだった。 21世紀初めの年の出来事である。 老朽化した秋田大橋の架け替えの情報を聞いた時から、私は、この小橋の安否が気がかりだった。 新しい大橋の供用が開始され、旧橋がまもなく撤去されると聞いた200

                                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                      2003.5撮影 青森県黒石市 青森県津軽平野の南東に位置し、十和田・八甲田観光の玄関口となる黒石市は、歴史のある都市である。 1600年代から南津軽の主要な町として発展し、長らく政治・経済・産業の中心都市であった。 青森県では4番目となる昭和29年に市制が敷かれるなど磐石の発展を見せてきた同市だが、近年では弘前市や青森市といった大都市圏に挟まれ、また市内の主要な鉄道線の廃止など、明るいニュースばかりではない。 中心街に、未だ昭和の町並みを色濃く残すこの黒石に、目立たず、しかし矍鑠と活躍を続ける老兵…一本の橋があった。 津軽富士を望む小さな橋、「富士見橋」である。 黒石市を貫流する浅瀬石あせいし川の右岸に市街中心地はある。 現在国道102号線は、浅瀬石川の左岸を通行しており、中心部は幹線道路から離れてしまっている。 しかし、バイパス化する以前の旧国道は、市街地を多数の直角カーブですり抜けて

                                                                      • 隧道レポート

                                                                        このレポートを作成した際に、山行がを構成するディレクトリに新しく、「nozoki」が追加された。 当然このレポのアドレスにも、「nozoki」の文字が含まれるが、変な目的で来た検索ロボットに引っかかりはしないか、少し心配である。 山行がに集う健全なマニアの皆様はご存じの通り、「nozoki」は、「覗き」ではなく、地名の「及位」である。 さて、今回紹介するのは、山行がでももうお馴染みとなった奥羽本線の旧線跡だ。 奥羽本線、大滝・及位間は、明治37年に開業しており、ここには第一~第三及位という、3本の隧道が掘られた。 いずれも、真室川(ここでは河川名)の右岸の山肌の凹凸に呼応する形で存在し、この区間全体としては、難所であった雄勝峠への登攀アプローチをなす。 故に、第二隧道あたりから目立った勾配が現れ、そのまま第三を経て及位駅に通じる。 廃止されたのは、第一・第二は昭和50年。 第三のみ、かなり

                                                                        • 2007年度山行がレポート大賞 結果発表

                                                                          <ご投票のルール> ① 2006年12月16日~2007年12月31日までに『山さ行がねが』サイト内で完結した「道路・廃線・隧道・橋梁・ミニの各レポート、および 『日本の廃道』vol12~19に執筆かつ完結した「ORJレポート」が投票の対象です。 ② あなたの印象に残った好みのレポート上位3本を投票してください。 1位=3ポイント、2位=2ポイント、3位=1ポイントを加算し、集計して合計ポイントで大賞を発表します。 ③ 1位は必ず投票してください。2位、3位はそれぞれ「該当無し」を選ぶことが出来ます。 ④ 同一レポートに1位と2位など、複数の投票をした場合は、上位の一票のみ有効とします。 ⑤ 投票は、期間内に一回限りでお願いします。 ⑥ コメント欄へは投票の理由などを、ご自由に。 記入は任意です。

                                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート 第130回 法華崎隧道

                                                                            名うての隧道情報ホルダー「学生服のヤマダ」氏が教えてくれた、地図上に描かれた一本の隧道。 氏も現地へ行ったことはなく、あくまでも 「地図上の表記が気になる。」 というだけのことであったが、 確かにそれは“気になる描かれ方”をしていた。 だいたいの場所は、この辺だ。 ⇒【周辺図】 手持ちのデジタルマップの縮尺を最大限に拡大しても、Y氏の情報にある隧道は描かれていなかった。 それは、オンラインマップをめいっぱい拡大した状態で、初めて見ることが出来た。 こんな所に道があることは初耳で、隧道があるなんて言うのも当然初めて知った。 早速、現地へ行ってみた。 すると、そこには「法華崎遊歩道」という歩道があった。 残念ながら、それは期待された国道以前の古道ではないようだったが、 そこには…ある意味で 日本一の隧道が…。 2008/4/2 7:26 東京湾の出入り口である浦賀水道に面した千葉県南房総市富浦

                                                                            • 小ネタ集

                                                                              2001.4撮影 秋田県南秋田郡五城目町 県道15号線は、秋田市のJR秋田駅近くに始まり、北上。太平山の脇を越え、五城目町に至る。その後は進路を西に変え、八郎潟町JR八郎潟駅付近にて国道7号線に至る、全長44km余りの主要地方道だ。 五城目町恋路スキー場に近い保呂瀬地区は、1995年竣工の保呂瀬トンネルを含むバイパスが貫いており、旧道が存在する。 手軽に旧道の風情を楽しめるので、昔から愛用している道だが、レポートにするほどの分量はないので、ここに紹介したい。 写真は、恋路集落から出て、いよいよ馬場目川沿いの旧道区間に入る部分。現道のトンネルが見えている。 現道の保呂瀬橋の下から、保呂瀬トンネル東坑口を見上げる。 馬場目川は、この時期(4月下旬)、太平山からの多量の雪解け水を通しているので、ものすごく水量が多く、滔々と流れていた。 同じ場所から、今度は旧道の進路を撮影。 旧道の保呂瀬橋は、赤

                                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区

                                                                                福島県国県道現況調査(平成15年版)によると、主要地方道31号浪江国見線には、1区間4.2kmの自動車交通不能区間がある。 これは、その区間を突破せんと試みた、山チャリではおそらく史上初の…… 試みである。 この不通区間があるのは、今年元日までは伊達郡霊山町で通っていた、伊達市の霊山付近である。 この「霊山」は、ふつう「れいざん」と読む一般単語だが、この地名は「りょうぜん」と読む。 読みは違っていても、その旧町名の由来となった山 霊山(りょうぜん・海抜825m)は一度見た者の心に残らずにはおかない、異様な山容と、日本のマチュピチュ都市遺跡かと思わせる霊山城址などの古代史に彩られた、福島の代表的な名山の1座である。 不通区間とされているのは、旧霊山町霊山閣跡~登山口までで、私の手持ちの地図帳や地形図(2.5万分の1)などでは、霊山閣跡から1kmほどは細い実線、その先登山口までの3kmほどが点

                                                                                • 隧道レポート

                                                                                  明治23年4月、東北本線の前身である「日本鉄道線」として、岩切・一ノ関間が開通している。 ここは主に宮城県から岩手県へと続く田園地帯を北上する区間だが、一ノ関手前に立ちはだかる有壁峠だけが、難所であった。 僅か高低差50mほどの峠であるが、当初ここには有壁隧道を頂点にした、最大16.7‰の勾配が控え、まだ非力だった機関車達を苦しめた。 しかし、大正13年には早々と現在の路線に切り替えられ、新たに大沢田トンネルが使用されるようになった。 こうして、他では例を見ないほど古く廃止された隧道が、永く地上に残されることとなる。 この有壁隧道の前後に残る廃線区間は、“その筋”では有名な廃線探索スポットであり、既に充分な調査が書籍などにまとめられている。 特に、お馴染み『鉄道廃線跡を歩く(第Ⅰ巻)』では詳細に紹介されている。 現地は、一ノ関市街から国道342号線を仙台方向に5kmほど南下し、小高い丘のよ