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山さ行がねがの検索結果1 - 16 件 / 16件

  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 新潟側

    おそらく、日本でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰

    • 廃道研究家「ヨッキれん」さんがぞっこんな「日光いろは坂」の「エンジンブレーキ使え」「一速に落とせ」の標識群

      ヨッキれん/平沼義之 @yokkiren 廃道に身も心も捧げるオブローダーの道路愛好家。「山さ行がねが」主宰。 実業之日本社「日本の道路122万キロ」ほか執筆。コミックキューン連載中「はいどう!」の監修者。 ツイートに🦆が登場したら、山行がの更新が近い合図カモ?!クワッ!! yamaiga.com ヨッキれん/平沼義之 @yokkiren 日光いろは坂のこの標識が超好き! 長い下り坂に「エンジンブレーキ使え」はたまに見るけど、さらに「一速に落とせ」や「二速に落とせ」といった具体的なシフト操作まで指示してくる道はほとんどない。「ここが運転できれば一人前」と、古いドライブガイドには大抵書いていた道の凄まじさを感じる。 pic.twitter.com/8hnLh3beO2 2024-01-27 00:14:00

        廃道研究家「ヨッキれん」さんがぞっこんな「日光いろは坂」の「エンジンブレーキ使え」「一速に落とせ」の標識群
      • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道140号 駒ヶ滝隧道

        なにやら秩父の山奥には、現役の国道でありながら一風も二風も変わったトンネルがあるらしい。 以前、当サイトで大々的に読者様から情報を募った際にも、そのトンネルの情報は複数の方から寄せられた。 いずれも関東近郊の方からの情報で、「関東に来たならぜひ」とか、「こちらの名物です。ぜひ見てくれ!」というような熱い内容だったと記憶している。 そして今回私は、初めて自転車でこのトンネルを通った。 その結果、現役のトンネルとしては特別に強烈なインパクトを有するものであると、そう認識するに至った。 故に、ここ1年間ではたった1例しか前例のない、現役でありながら隧道レポに登場という(きっと名誉でもなんでもない)快挙となったのである。 前置きはこのくらいにして、早速レポを始めよう。 いきなり隧道というのではそのインパクトを伝えきれないので、少し手前から始めたい。 2007/9/3 6:24 【埼玉県秩父市大滝 

        • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

          今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

          • 【山さ行がねが】ミニレポート第281回 吉野川市道の希望橋 後編

            当サイトは長年にわたってグーグルアドセンスの広告収入をメインの活動費源としておりますが、近年の広告単価の大幅な減少により、レポート内に過剰に多くの広告が掲載される状況が慢性化しておりました。この点を反省し、2023年9月15日頃から広告の表示数を40%程度減らしました。 また、2023年12月中旬から、新たに公開するレポートについて、スマートフォンでも読みやすいデザインへと刷新しました。 当サイトは今後、アマゾンアソシエイトなど物販系アフィリエイトを収益の軸とする考えです。多くの読者様が日常的にAmazonなどのオンラインショッピングを利用されていると思いますが、その際に当サイトの 【リンク】 を経由して頂くことで、リンク先での購入代金の数%がサイトの収益となります。当サイトをご利用の読者様にはぜひ御協力いただきたく思います。さらに2024年には、私が探索で使用している各種のギアを紹介する

            • 【山さ行がねが】道路レポート 青ヶ島大千代港攻略作戦

              あの青宝トンネル旧道の激闘も、この探索の前座に過ぎなかった。 (でも、前座で敗北してるんですが…) 私が青ヶ島で一番行きたかった場所、大千代おおちよ港。 これはその挑戦の記録。 しかし、最新の地理院地図に堂々と「地方港」の記号で描かれている港に、なぜ私が行きたいのか。 愚問。 もちろんそれは、廃道があるからだ。 私の探索の腕を試し、同時に好奇心を最大に満たす、厳しい廃道探索の舞台があると確信したからである。 しかも、事前に少しだけ歴史を知っただけで、その凄絶過ぎるストーリーに惚れ込んでしまった。 青ヶ島という、廃道趣味者にとっては聖地的な凄みを持つ小世界の中においても、大千代港こそが最強の存在だと思っている。 そんな大千代港は、青ヶ島全体を4地区に分けた場合の東側外輪山一帯を指す北山地区にある。(他の地区は、村落がある北部外輪山上の岡部、西側外輪山一帯の上手、島の南半分を締めるカルデラ及び

              • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 浜隧道(仮)

                平成21年3月19日は終日、房総東海岸を縦貫する国道128号の旧道巡りに費やした。 鴨川を夜明けと共に出発し、どこまで行けるかは敢えて問わずにひたすらに東進。 夕暮れまでに、いすみ市大原へとチャリを進めることが出来た。その後は外房線を輪行してこの日の探索を終えたのだった。 もちろん「旧道巡り」であるから、少しは準備がある。 事前に入手した明治末の5万分の1地形図を元に、最新の2万5千図に現国道と異なるラインを赤ペンで書き込み、それをプリントアウトしたものを頼りに旧道を巡り“走る”のだ。 ただ、基本的にこの方法だと地図に現れないほど小さなルート変更以外の見落としは無いが、レポートとしては映えない市街地の旧道にも多くの時間を割くことになる。 よって、ネタ収集という意味では決して効率的ではない方法だが、それでも私はこの手のロングスケールな旧道巡りが大好きである。 ピンポイントの探索では味わえない

                • 【山さ行がねが】ミニレポート第270回 岡山県道300号宇治下原線 羽山第一トンネル 前編

                  《所在地(マピオン)》 今回紹介するのは、岡山県道300号宇治下原(うじしもはらせん)線にある羽山第一トンネルだ。地名としては、岡山県高梁(たかはし)市成羽(なりわ)町羽山(はやま)になる。 この路線名とトンネル名でピンと来た人は鋭い。普段から道路好きでいろいろな情報を仕入れている方だと思う。だが、まさにこの左の写真にある、おそらく“日本唯一の存在”として最近メディアで取り上げられることも増えた、鍾乳洞の一部が現役の道路トンネルとして使われているのは、羽山第二トンネルの方である。 2本のトンネルの位置関係は右図の通りで、両者は同じ県道の路線上に約1km離れて存在している。 このように近いので、第二トンネル目当ての旅の途中で第一トンネルも通ったという方も少なくないことだろう。かくいう私もほぼ同じ動機でこの探索に赴いていた。 何度見ても、(←)この第二トンネルの姿は凄まじいものがあり、人気が

                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号清水峠 (新潟側)

                    2007/10/7 6:00 《現在地》 清水峠の北の口である清水集落は、六日町の市街地から登川伝いに約13kmほど南下した位置にある。 魚野川沿いの盆地にある六日町(現:南魚沼市)の海抜は約150m~200mだが、清水の集落(旧:塩沢村、現:南魚沼市)は既に600mの高所である。 清水峠にとって唯一の晴れの舞台となった明治18年9月7日の開通式の御列は、式典の後この清水集落にて止宿している。 (同行の土木局長・三島通庸も、この集落のどこかで寝たのだろう…) これから私とくじ氏は、122年前にこの騎馬車一行が通った道を逆に辿って、峠を目指すこととなる。 清水峠は海抜1448m。 彼我の距離は直線(平面上)にて約7km、国道経由(我々のルート)で地図読み約16km、最も一般的な登山ルートである居坪坂経由で約10km、戦国武将が駆け抜けた最古の謙信尾根ルートは約8kmである。 それぞれが運転す

                    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道257号三尾河バイパスの未成部

                      当サイトは長年にわたってグーグルアドセンスの広告収入をメインの活動費源としておりますが、近年の広告単価の大幅な減少により、レポート内に過剰に多くの広告が掲載される状況が慢性化しておりました。この点を反省し、2023年9月15日頃から広告の表示数を40%程度減らしました。 また、2023年12月中旬から、新たに公開するレポートについて、スマートフォンでも読みやすいデザインへと刷新しました。 当サイトは今後、アマゾンアソシエイトなど物販系アフィリエイトを収益の軸とする考えです。多くの読者様が日常的にAmazonなどのオンラインショッピングを利用されていると思いますが、その際に当サイトの 【リンク】 を経由して頂くことで、リンク先での購入代金の数%がサイトの収益となります。当サイトをご利用の読者様にはぜひ御協力いただきたく思います。さらに2024年には、私が探索で使用している各種のギアを紹介する

                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第277回 「塩沢24」と「塩沢25」

                        《所在地(マピオン)》 こんな意味の分からないタイトルのミニレポまで見に来てくれて、ありがとう。 「塩沢24」と「塩沢25」ってなんだよって話だが、いきなりネタばらしをすると、これらは高速道路の下を潜るボックスカルバートの名称である。 これでピンと来た人は多いんじゃないだろうか。 と同時に、「あっ、じゃ興味ないです」って、ブラウザバックしそうになったキミはちょっと待ってくれ。せっかく来たんだから、このまま5分間だけステイだ。 右図は、新潟県南魚沼市を通る関越自動車道の周辺を描いた最新の地理院地図だ。塩沢石打ICと六日町ICの間の区間で、近くにはミニレポ247回で紹介した変な交差点がある。そしてこの高速道路に沿って、桃色で強調した1本の市道が通じている。さほど重要ではないが、一応路線名もお知らせすると、市道側道塩沢小栗山西線という。厳密には「側道塩沢小栗山西線」の部分が路線名だ。 「現在地

                        • 【山さ行がねが】道路レポート 旧県道満島飯田線 “竜東線探索” (田本~門島 区間)

                          ※このレポートは、“竜東線探索シリーズ”の一部です。竜東線全体のプロフィール紹介は、扉ページをご覧下さい。 《周辺地図(マピオン)》 明治33(1900)年に、天竜川の大峡谷を切り開いて開通した、飯田~平岡を結ぶ枢要里道竜東線。 大正12(1923)年には早々と県道へ昇格し、府縣道満島飯田線となった(図の赤線の位置)。 開通当時は多数の通行人で賑わったが、昭和7年から11年にかけて並行する三信鉄道(昭和18年に国有化されて飯田線となる)が開業したことで交通量は激減。鉄道隣接のため拡幅が困難であったことや、下流区間が平岡ダムに水没したことから次第に廃道化していった。そのため昭和25(1950)年に長野県は府縣道満島飯田線のルートを図の赤線の位置から緑線の位置へ変更。昭和41(1966)年には路線名も変更され、現行の県道飯田富山佐久間線(の一部)となった。 本編は、明治期に竜東線として整備さ

                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号清水峠 (新潟側)

                            【第3攻略区】 起点:鉄塔下(←現在地) 終点:柄沢尾根 全長:2.0km 高低差:170m ひきつづき、約12kmある廃道区間全体から見れば序盤である。 この区間も全線にわたって登川の谷に面しているが、さらに比高を広げ続け、柄沢尾根上の海抜1050m地点に至る。 区間の前半は、「第3の九十九折り」と呼ぶべき大スパンのヘアピンカーブ2連で構成され、JRの所有する2系統の送電線を繰り返し潜る。 「鉄塔上」(3.4km)を経て区間の中盤となり、等高線の密な斜面を東進する。そして、柄沢岳が登川に落とす急峻なガリーに達する。 ガリーを横断して進行方向を南南東に変えて、再び急傾斜の斜面をしばらく進むと、区間の終点「柄沢尾根」(4.6km)に至る。 2007/10/7 9:46 鉄塔下 廃道を歩き始めて3時間を経過。 最初の九十九折りで極端に時間を要した他は、まあ路面状況も想定の範囲内であった。 しか

                            • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号清水峠 (新潟側)

                              【第2攻略区】 起点:追分(下分岐) 終点:鉄塔下 全長:2.4km 高低差:140m 清水国道の廃道区間約12kmの冒頭を占める区間だ。 ここを踏破すると、ちょうど全体の五分の一ということになる。 地図上から想定されるルートの概要。 まず序盤、4つの切り返しからなる第1の九十九折りから始まる。ここで一気に70mの高度差を詰める。 そこから緩やかに上りながら東進し、東屋沢を渡る。この沢は、地形図に水線が描かれていないのでさほどの水量ではないだろうが、幅の広い沢の中央部に凸部が描かれていて、やはり太古の氷河地形を感じさせる。 東屋沢を渡った後、海抜800~850mの山腹急斜面に沿って南東に進み、スタートから2.4km地点にてJR送電線の直下に達し、区間を区切る。 2007/10/7 6:50 追分。 第一次探索でもこの国道の入口を見てはいたが、実際に少しでも踏み込むのは、これが初めて。 近く

                              • 【山さ行がねが】道路レポート 岡山県道50号北房井倉哲西線 無明谷 第2回

                                2019/12/26 7:29 《現在地》 道の素性を知ってから探索を開始するというのは、普段あまりない体験で、「お手並み拝見」というような心境だった。 封鎖からちょうど10年が経過しているはずだが、この間まったく手を付けられていなかったのか、管理者による最低限の維持が行なわれていたのか、現時点では分からない。 しかし、期間の長さから考えて、荒れているとしても、そこまで酷いことはないだろうと予想していた。 私の興味の中心は、荒廃の度合いよりも、今しがた沢山の石碑や案内板に教えられたばかりのこの道の特殊な構造――深い峡谷の底を流れる涸れ川を自動車も通る道として整備した――がどのようなものであったのかということ。そして、これまで経験したことがない石灰石の谷地形の風景のことだった。 バリケードの先へ進入をスタートさせると、最初のごく短い区間は2車線幅を有していたが、その先ですぐさま1.5車線程度

                                • 千頭森林鉄道 - Wikipedia

                                  千頭森林鉄道で使用されていた車両(寸又峡温泉で保存されている車両) 千頭森林鉄道(せんずしんりんてつどう)とは、静岡県榛原郡川根本町の大井川水系寸又川一帯に路線を持っていた森林鉄道である。東京営林局千頭営林署が運営していた。 沢間停車場では大井川鉄道(現 大井川鐵道)井川線沢間駅と接続していた。大井川鉄道井川線千頭駅 - 沢間駅は、当森林鉄道の乗り入れのため、762mmと1067mmの三線軌条であった。 木材運搬のみならず、電力会社が発電所やダムの維持管理のために使用していた。また、一時期、寸又峡温泉への観光客、宿泊客の運搬を行なっていた。 建設の経緯[編集] 元々は、第二富士電力(後に富士電力と合併。中部電力の前身の一つ)が千頭ダムの建設の際、赤石山脈の帝室林野局の御料林、千頭御領林(後の千頭国有林)から伐採される木材を、寸又川を用いた筏での運搬が出来なくなることに対しての、水利権の補償

                                    千頭森林鉄道 - Wikipedia
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