20歳の山野井泰史さん(右端)が帰国を前に、秋間美江子さん(右から2人目)や世話になった人を招いて開いた食事会での一コマ=米コロラド州ボルダーで1985年7月、山野井さん提供 戦時中にスパイ事件とされた「レーン・宮沢事件」で服役した兄の名誉回復を長年訴えた秋間美江子さんが10月、移住先の米コロラド州で93歳で亡くなった。活動を支えたのは、ヒマラヤのK2無酸素単独登頂などで知られる登山家、山野井泰史さん(55)一家だった。山野井さんは「すごい気力だった」と秋間さんをたたえる。 兄の無実訴え続けた「うるさいおばさん」 出会いは偶然だった。山野井さんは20歳だった1985年6月、岩登りの聖地コロラド州ボルダーに出掛け、落石で左足を粉砕骨折した。運ばれた病院のボランティアが秋間さんだった。退院後、自宅に迎えられ1カ月以上を過ごした。 まだ大きなギプスをはめていたが、お構いなしに雑草取りやボランティ