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平将門の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 落葉 - 花とウォーキングシューズ

    (桜の木の下のベンチの様子) こちらは大雨が降ったり止んだりが続き蒸し暑いです。 図書館に行ったら船橋の民話という本があって、100本近くのお話が収録されていました。その中には海に入水した桔梗ノ前という平将門の愛妾のお話もありましたよ。物語がないなんて言って ごめんなさい。それこそ物知らずでした。でも橋のモニュメントにするとしたらそういう地元の物語を取り上げてほしいですね。 まあ趣味の違いを云々しても仕方ないですが。 さて船橋の情報はwikipediaが詳しいです。ちょっと読んだけど、簡単には読み切れないです。知らないことがたくさんありました。 しかしどうしようかな。又パニック状態にはなりたくないです。 当分アンデルセン公園行きかな。。。気分で動こう。 台風早く消えろ〜。 色々のもの地にありぬ野分後

      落葉 - 花とウォーキングシューズ 
    • てふてふひらひら - 月に叢雲花に嵐

      海野和男カメラマンと言うとアサギマダラの飛翔の写真が印象深い 魚眼レンズにストロボを炊いて撮影していた。 今やプリ連射機能があるので 比較的容易に誰でも飛翔写真が撮れるようになった。 OM-1 Mark II + M.ZUIKO DIGITAL ED 300mm F4.0 IS PRO + MC-14 SS1/400 F5.6 ISO250 OM-1のプリ連射機能はプロキャプチャモードと言うが 3種類あって撮影地でどれがどれだかわからなくなり ノーマルのプロキャプチャモードを使用してしまった。 これを多用するとメモリーカードをあっという間に消費してしまう諸刃の剣 シロウトにはお勧めできない… これは下のマツムシソウにいたのが飛び立ったのだが 翅に蚊らしきものが止まっているので これに驚いて飛び立ったのかもしれない。 蝶のことは古語でかはびらこ(こは変体仮名) もしくはてんがらこ(釣りのてん

        てふてふひらひら - 月に叢雲花に嵐
      • 平清盛の先祖にあたる平維衡は、なぜ藤原道長から伊勢守就任を拒否されたのか?(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース

        今回の大河ドラマ「光る君へ」では、平維衡の人事を巡り藤原道長が反対するなど、大きな問題になっていたが、どういう背景があったのか、考えることにしよう。 平維衡は、平将門の乱を鎮圧した貞盛の子で、伊勢平氏の祖でもあった。つまり、平清盛の先祖である。ただし、残念ながら生没年不詳である。維衡は上総、常陸、下野など東国で受領を歴任した。 維衡は、源満仲、源満正、源頼光、平致頼とともに「天下之一物」として並び称されたほどの人物である。その後、伊勢に進出したが、長徳4年(998)に同族の平致頼と抗争を繰り広げたのである。 その結果、朝廷は2人を京都に召喚し、維衡を淡路への流罪としたが、位階はそのままだった。一方の致頼は位階を剥奪されたうえで、隠岐へと流されたのである。致頼の罪が重かったのは、先に戦いを仕掛けたとみなされたからだった。 それから維衡は、罪を許されて召喚された。寛弘3年(1006)の除目にお

          平清盛の先祖にあたる平維衡は、なぜ藤原道長から伊勢守就任を拒否されたのか?(渡邊大門) - エキスパート - Yahoo!ニュース
        • 日本古来の「芸能」が歩んだ道のり 祭りの変化がもたらした、今の姿 – 國學院大學

          古代から現代に至るまで、神に捧げられてきたものたち。それらの意味を見つめると、捧げられたものの歴史や日本の伝統文化の素顔を知ることができる。 第2回は、神楽などの舞をはじめとした「芸能」を取り上げる。 神話と芸能の関係 歴史書から見える変遷 古くから行われてきた、神楽や舞楽。これらの伝統的な芸能も、ルーツは神をもてなすことにあった。 それを示すのが、『古事記』や『日本書紀』が伝える「天石屋戸(あめのいわやと)神話」や、「天石窟(あめのいわや)神話」である。戸を閉ざして石屋にこもった天照大御神のために、捧げ物をして祝詞を奏上し、また天宇受売命(アメノウズメノミコト)という女神が踊りを捧げたとされる。神事で神楽を行う由縁である。「少なくとも『古事記』や『日本書紀』が編纂された8世紀には、神を楽しませる、もてなすものとして【舞】があったのではないでしょうか」。こう考えるのは、古代祭祀の遺跡から歴

            日本古来の「芸能」が歩んだ道のり 祭りの変化がもたらした、今の姿 – 國學院大學
          • 乃至政彦 - Wikipedia

            乃至 政彦(ないし まさひこ、1974年[1][注釈 1] - )は、日本の「歴史家」[1][2][注釈 2]。香川県高松市生まれ[1][注釈 1]、神奈川県相模原市在住[1][注釈 1]。 在野の日本史研究者であった乃至は、学術雑誌である『歴史研究』52号(2010年)に、論文『上杉謙信并ニ臣像と後継者の移行』が掲載された実績を有していた[5][6]。乃至は、上杉景虎を取材していた歴史小説家の伊東潤の知遇を得て、2011年に伊東との共著『関東戦国史と御館の乱:上杉景虎・敗北の歴史的意味とは?』(洋泉社<歴史新書y>)を上梓して、「歴史家」[注釈 2]としての活動を開始した[7]。 上杉謙信の夢と野望 : 幻の「室町幕府再興」計画の全貌 乃至政彦 著 洋泉社 2011(歴史新書y) のちワニ文庫 戦国武将と男色 : 知られざる「武家衆道」の盛衰史 乃至政彦 著 洋泉社 2013(歴史新書y

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