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歌舞伎で、名前を受け継ぐ「襲名」。 これは、江戸時代のある時期までは、常識ではなかった。 江戸歌舞伎の看板役者、初代、市川團十郎(1660〜1704年)。 悪人を相手に大立ち回りを演じる「荒事」を生み出し、 隈取(くまどり)と呼ばれる独特の化粧も考案。 評判が記された史料には、 「おそらく この人ほど 出世なさるる芸者 異国本朝に 又と有るまじ(團十郎ほどの看板役者は外国にも日本にも二度と現れない)」 とあるほど、当時の日本を代表するスーパースターだった。 そんな團十郎に思いも寄らぬ悲劇が襲いかかる。 なんと、1704年、役者仲間に刺殺されてしまった。 突然の悲報は江戸中を駆け巡り、人々は悲しみに暮れた。 それだけではない。 看板役者を失ったことは、座元と呼ばれる興行主にとっても、経営を揺るがす大打撃だった。 歌舞伎界を襲った人気凋落を招きかねない緊急事態。 この大ピンチを救ったのが、「名
例: ・アイアムハヤスギル ・オヌシナニモノ ・バカニシナイデヨ ・モグモグパクパク ・ナンデヤネン ・サバノミッソーニ ・ビックリシタナモー ・オレニホレルナヨ ・ネコパンチ 珍名馬の中でも、「モグモグパクパク」や「ビックリシタナモー」などの名付け親は、馬主の小田切有一さん。 変な名前が出てきたら小田切さんだろうといわれるほど競馬界では有名。 小田切さんが名付けた珍名馬は、他にもたくさんいる。 オジャマシマス、メダカハドコヘ、モグモグパクパク、ダメダメダメダメダ、ビックリシタナモー、ワラッテカエロウ、フクラムサイフ、ネガエバカナイソウ、オレハマッテルゼ、 ケイバズキ、オコリンボ、ギンギラギン、ジャマスルナ、ワッハッハ、オレノウマ、フルスイング、ナーンチャッテ、オマワリサン、モチ、アラシヲヨブオトコ、オジサンオジサン、サヨウナラ、エガオヲミセテ・・・ など。 小田切さんが馬に珍名を付けるキ
ある外国人の疑問に、野々村の「々」の読み方は何?という話がありました。 「野々村」「代々木」「来々軒」「担々麺」など、 同じ文字が続いている時に使うように思われるが、 広辞苑で調べてみると、「度度」「年年」「堂堂」などと書いてある。 実は、「々」の字、「漢字」でも「文字」でもなく、「記号」。 「、(読点)」や「。(句点)」、「?」と同じ。 「々」は、「同の字点」という。 漢字は、中国からやってきた。 「々」も、中国の書き方がある。 例えば、「堂々」は、こちらのように「点点」を使って書く。 日本の「ひらがな」は、続けて文字を書く。 漢字から仮名を生み出した感覚で、 同の字点も、徐々に段々と変化していった。 例えば、井上(いのうえ)や 一瀬(いちのせ)は、わざわざ「の」を書かなくても、その名字として読むことができる。 しかし、野々村(ののむら)や佐々木(ささき)といった同じ音が2回続く場合、「
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