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明治4年の検索結果41 - 42 件 / 42件

  • なぜ、田舎から文化が無くなっていくのか - orangeitems’s diary

    私は九州の片隅の漁村で育ち、県庁所在地で寮生活をして、そこから関東に上京して今がある。だから、田舎から地方中枢都市、そして東京に至るまで全てを見て来たので、田舎と都会をきちんと語ることができる。 そして、田舎が何もない、というのは結構都会の人には伝わりにくい。 日本は戦後から、国鉄の民営化までは日本全体を一つのネットワークと設定し、津々浦々を結んで一つの国の形であろうというイメージが非常に強かった。 なぜ国鉄の民営化が出てくるかと言えば、国鉄の大赤字は全国に均一ネットワークを作ろうとした政治の失敗の結果だからだ。 象徴的な文章がある。田中角栄『日本列島改造論』の一節である。 toyokeizai.net 「もう一つ、ふれておかなければならないのは日本国有鉄道の再建と赤字線の撤去問題である。国鉄の累積赤字は47年3月末で8100億円に達し、採算悪化の一因である地方の赤字線を撤去せよという議論

      なぜ、田舎から文化が無くなっていくのか - orangeitems’s diary
    • 福岡市城南区田島4丁目 田島八幡神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」

      大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 社頭にある鳥居の扁額は「八幡神社」です。 拝殿、渡りには覆屋がかけられています(渡りの先は拝殿ではなく、後掲する境内の見取り図によれば「神楽殿」です)。 福岡市無形民族文化財 田島神楽 田島の東南隅に薦ヶ渕という樋井川の深い渕があり、旱魃にならないよう毎年人身御供を捧げていましたが、それに代えて、万年願として神楽を奉納することになったと伝えられています。 明治3年(1870)までは、旧藩主黒田家から神楽費として、毎年米五俵が下賜されていたといわれ、明治4年(1871)に「神楽社」が結成され、その後氏子の方々で今日に至るまで舞い続けられています。戦争やその後の社会情勢の変動、神楽社々員の増減もありましたが、現在まで江戸時代以来の社家(神官)神楽の芸態が連綿として継承されています。平成10年(1998)3月、

        福岡市城南区田島4丁目 田島八幡神社 - 松村かえるの「かえるのねどこ」