現在、SIE(ソニー・インタラクティブエンタテインメント)の拠点は米国サン・マテオにあるし、PlayStationのファーストパーティータイトルの大半も欧米で開発されている。しかし、「アストロボット」シリーズで知られるTeam ASOBIの開発スタジオを訪れて、私はPlayStationが日本に始まったブランドであるということを強く感じることとなった。 90年代前半、ソニーは任天堂と共にスーパーファミコンのCD-ROM機を開発していたが、途中でキャンセルされた。後にPlayStationの生みの親として知られる久夛良木健氏は、ならばソニー独自のゲーム機を開発しようというアイディアを、当時同社の社長だった大賀典雄氏に持ちかけた。 大賀氏が久夛良木氏の提案に対して「Do it!」と許可を出したエピソードはあまりにも有名だ。そして、1994年12月、PlayStationは実際に発売されることと