国外追放直前に右近が記した書状。冒頭は「近日出舟仕り候」で始まる=石川県七尾市小島町の本行寺で、竹田迅岐撮影 江戸幕府によって国外追放され、加賀前田家とも縁が深いキリシタン大名、高山右近がカトリック教会で最高位の「聖人」に次ぐ「福者(ふくしゃ)」に認定されることが決まり、追放までの右近が長年滞在した七尾市小島町の本行寺(ほんぎょうじ)には参拝客が続々と訪れている。直筆の書状や短刀、マリア像などゆかりの十数点が展示され、同寺は「能登に西洋文化を伝えた右近の功績を広く知ってほしい」と認定を歓迎している。【竹田迅岐】 右近は、加賀藩祖・前田利家の招きで能登に移り、国外追放までの二十数年間、本行寺に滞在した。同寺は、能登に茶の湯を紹介したことで知られる茶人の円山梅雪(まるやまばいせつ)が15世紀に開き、右近の追放後もキリスト教徒が集う場所となった。 この記事は有料記事です。 残り554文字(全文8