大河ドラマ「どうする家康」、まだまだ松潤は「どうする、どうする」と頼りない若君です。 でも「主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ。」と言う母於大の方(松嶋菜々子さん演)にビシッと「出て行け」と言った時はちょっとカッコよかった。 結局母の言うとおり今川から離れることになったけどね。 その43年後。 徳川家康が征夷大将軍に就いたことによって、鎌倉幕府や室町幕府のように武家の政権を樹立しました。 目次 徳川家康生存時の徳川秀忠の政治 家康が亡くなると 公方不在 公方復活 家康、秀忠、家光 徳川家康生存時の徳川秀忠の政治 慶長10(1605)年、家康はたった2年で将軍職を退いた後「大御所」となります。 そして息子である徳川秀忠が征夷大将軍となります。←「もう(豊臣)秀頼に政権は渡さないからね~」って現実。それでもその頃はまだ豊臣家は存続している。 徳川秀忠が将軍