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  • 【山さ行がねが】道路レポート 六厩川橋攻略作戦

    このレポートは、「道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)」の続編ですので、先に上記レポートをお読みになることをオススメします。 本編において単に「一昨日の探索」や「前回」という表現を使った場合も、上記レポートで紹介した探索を指します。 東経136度56分54秒 北緯36度7分52秒 今回も懲りずに この地点→ 「六厩川橋」 を目指す。 「前回」は、六厩川橋の約2km手前にあるこの「秋町隧道」で敗退した。 原因は身を以て体験した背丈を超える水没だったわけだが、それをレポートで伝えたところの皆様の感想は、私の健闘を讃えるものが少なくなかった。 だが、私は気付いてしまった。 多くの「がんばった!」の根底に流れているのは敗者への労りであり、慰めを装った“がっかり”感だった。 「おおゆうしゃよ! しんでしまうとはなさけない。」 ぞくぞくと寄せられる「がんばった!」を読みながら、そんな言葉がリ

    • 道路レポート

      2004年5月中旬、山行が宛てに一通のメールが寄せられた。 そこには、私を即座に夢中にさせるネタがしたためられていた。 差出人は、青森県にお住まいのぴょんぴょん氏。 その彼が以前登山で利用した道が、戦前の車道の跡であるというのだ。 その道の場所は、右の地図の通りである。 地図の最も下に水色がかっている部分があるが、これは十和田湖である。 その十和田湖の北岸の突端である御鼻部山付近から北上し、海抜900m前後の山上を縦走。 いよいよ南八甲田山の峰峰に対峙し、これをヘアピンカーブで上り詰める。 最高所は、標高1200mを超える稜線上にあり、この名が、地獄峠。 ここから猿倉温泉へ向け、数度のヘアピンカーブを経つつ緩やかに下りるというコースである。 すなわち、北東北有数の観光地である「十和田湖」と「八甲田山」とを短絡する稜線ルートといえば分かりやすい。 このルートは、確かに一般の道路地図にも示され

      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 沢渡~中ノ湯

        廃道の中の廃道。 皆様にとっての廃道とは、どんなイメージだろう。 草むした砂利道、苔の生えたアスファルト、ひび割れたコンクリート、消えかけた白線、色あせた道路標識、忘れられた路傍の石碑、照明の消えた真っ暗な隧道、落石に埋もれたガードレール、路面を奔る沢水、崩れ落ちた橋や路肩、草いきれのする藪、弱音、諦め、安堵とガッツポーズ… ここには、それら考えられる要素のほとんど全てのものがある! 廃道の中の廃道とは、決して険しいだけの廃道だとは思わない。 ここには、演出過剰なほどに分かりやすい、“廃道の真景”がある。 それゆえ、以前執筆させていただいた『廃道をゆく (イカロス・ムック) 』にも、巻頭企画としてこの道を紹介した。 この道を辿ることは、廃道の酸いも甘いも同時に体験することに他ならない。 同書にて一度紹介済みではあるが、本とネットでは表現方法も異なることであるし、今回はより詳細なレポートを作

        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道17号旧道 二居峡谷

          俺はまたしても、トンデモナイ廃道に遭遇してしまった! 上越国境とは上州(関東圏・群馬県域)と越後(北陸圏・新潟県域)とを隔てる線であり、すなわち県境である。 このエリアでは古くから「三国峠越え」と「清水峠越え」の二本の道が、国家の幹道としての主導権を争って来たのであるが、現在では決着済みである。 近代において両者の優劣を決定づけたのは、上越国境を結ぶ初めての自動車道が三国峠に拓かれたことによる。 昭和34年、戦前から計画されてきた三国トンネルおよび前後13km余りの山岳道路が一級国道17号として開通し、馬さえ通れなかった三国峠が近代的自動車道へと変貌を遂げたのである。 しかし、この段階ではまだ新しい国道も十分な機能を発揮できなかった。 なぜなら、この新潟側に連なる火打、二居、芝原などの峠が未改良で、自動車による通行に大きな危険を強制したためである。 続いて上記各峠も改良が進められ、昭和40

          • 【山さ行がねが】廃線レポート 大間線 序

            本州最北の町、大間。 県都青森市から最短の陸路を使って約140km、車なら約3時間、鉄道とバスを乗り継いで行こうものなら日帰りが難しいほど。一方、津軽海峡を挟んで対岸の北海道戸井地区とは約30km、函館までも50km以内という、まさに本州最果ての地に相応しい立地といえる。 かつて、この地を目指し建設が進められた鉄道があった。 その形状がよく手斧に喩えられる下北半島だが、この半島が鉄道の便に初めて浴したのは大正10年。半島の付け根にある野辺地から“持ち手”の部分の海岸沿いを伝い、半島最大の街であった田名部(たなぶ、現・むつ市)を経て、海軍の警備府が置かれていた大湊(現・むつ市)までを結ぶ、大湊線(現・JR大湊線)が開通したことに始まる。 当時、国政の主導権を掌握しつつあった軍部の意向は鉄道計画にも大きく影響を及ぼし、半島の突端である大間(大間町)に津軽海峡を防備するための要塞を建設する計画と

            • 【山さ行がねが】橋梁レポート 双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡)

              見えるのに、 どうやっていくのか分からない。 これから紹介する橋は、出会いの段階でまずその印象を非常に強く持った。 それは、オブローダーにとって最も甘美な刺激である。 なにせ、そんな場所にはもう、辿り着くだけでオブローダーは大満足なのだから。 その上に、歴史や技術の味付けが加わったとすれば、それはもう千人力。 最上級の“廃道物件”という感想も、遠くはない。 【周辺図(mapion)】 本橋は、公開済みの「道路レポート 牛岳車道 第2回」の終盤で存在が発見され、「第3回」の前半で、同日中の接近・攻略を断念している。 その流れを先にご覧頂いた方が当レポートは理解しやすいはずだ。 この「前説」はそれを踏まえて、国道471号から遠望可能な姿を再掲載するに留める。 その後に、具体的な接近・攻略の方策をプラニングしてみよう。 青い湖面の双竜湖は、日本最古の本格派ダムである「小牧堰堤(ダム)」が昭和5年

              • 【山さ行がねが】隧道レポート 伊東線旧線 宇佐美隧道

                2007/7/25 11:55 【静岡県伊東市宇佐美】 目の前を軽快なステンレスカーが駆け抜けていく。 水平線と空をイメージしたのだと容易に分かるカラーリングのそれは、伊豆急行線の8000形電車という。 伊東から先の下田まで、国鉄が果たせなかった伊豆循環鉄道の使命を一部受け継いで、昭和36年に開業した私鉄だが、その当初の使命を思い出させるかのように、JRの線路を熱海まで悠々と乗り入れている。その逆も然りである。 ここは、宇佐美隧道の宇佐美駅側坑口に最寄りの小さな踏切である。 実は、既にこの地点では新旧線の切り替えが済んでおり、旧線のレールも踏切の両側に残されている。 だが、踏切部分のレールは綺麗に撤去されており、通行していてそれに気付くことはない。 遮断棒手前の道路右側に、黄色いバーが二本横に渡されているが、この位置で旧線は道路を横切っていた。 上の写真と同じ地点で、左手、すなわち網代駅方

                • 廃線レポート

                  森吉林鉄のダム付け替え区間の探索が4度を数え、いよいよ次で完全踏破も見えてきていた、2004年5月15日。 一通のメールが、私のもとへ届いた。 そこには、衝撃というより他はない一枚の写真と、さらに衝撃的な文章が綴られていた。 その差出人は、ここではT氏としたい。 この1通のメールが、未だ醒めやらぬ新たな興奮、森吉の新しい冒険譚の幕開けを告げたのである。 文章は、いたって簡潔であった。 ここに要約するまでもないほどだ。 太平湖のまだまだずうっと奥に、まだ隧道がある。 貼付されてきた写真の凄まじさもあり、私はその日から問答のように、彼へメールでの質問を続けた。 彼は、徐々に、徐々に、その場所を明かし始めた。 一つ一つ明らかにされるたび、私は期待と、それ以上の無力感を同時に感じていた。 明かされた隧道の場所は、余りにも… 余りにも遠かった。 右図で、青い○で囲んだ一帯に、T氏が示した隧道(以下『

                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 トモロ岬

                    一般国道135号は、伊豆半島の東岸を南北に縦貫する、観光及び物流の両面で代替路の無い極めて重要な路線である。 実際に通行してみると、確かに、ほぼ全線2車線しかない路幅の中を溢れんばかりに、様々な車が通っているのが分かる。 大型トラックから観光バス、オープンカーやバイク、自転車に至るまで、季節にもよるが、ありとあらゆる車を見ることが出来た。 そしてこの道は、伊豆半島という希代の観光地に全線の立地を置いたため、随所に有料バイパスとの分岐や合流がある。 その中には既に無料開放化されて久しい物も少なくないが、今でも、地方からの観光客やサンデードライバーの多くが、何気なく有料バイパスへ連れて行かれている。小田原から熱海の間はとくに、図らずも二度ばかり有料バイパスへ連れて行かれることになる。 今回紹介する旧道もまた、有料バイパスとの関わりの中で生きた道だった。そして、ある激甚な災害によって死んでいった

                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 栗原鉄道 赤坂山隧道

                      このレポートの内容は不完全なものであることが判明しました。 赤坂山隧道の尾松側坑口は、他に存在するとのこと。 読者の皆様におかれましては、その点をご了承下さい。 「再調査計画中」 またひとつ、レールが消えようとしている。 2007年3月いっぱいで全線のバス転換が予定されている、くりはら田園鉄道線。 通称「くりでん」がそれである。 くりでん。 大正10年「栗原軌道の部分開通」から今日までの80年近い歴史は、まさに波瀾万丈。 僅か26km余りのミニ鉄道でありながら、おおよそ一つの鉄道が経験できる全てのイベントを経験していると言っても過言ではない。 以下に、この鉄道の体験した経歴のうち代表的なものを記す。 まず全線(26.2km)が開通したのは昭和17年。当時は「栗原鉄道」に改称されていた。 昭和27年、電化。 開業当初は軌間762mmであったものを、昭和30年に現在の1076mmへ改軌。 この

                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道253号旧道 八箇峠

                        山行が合調隊メンバーのふみやん氏(新潟県長岡市在住)より、今からだいぶ前に現地の廃道情報がもたらされた。 それは、新潟県十日町市と南魚沼市を結ぶ八箇峠の旧国道に関するものであった。 彼は普段から余り感情を表に出すことはないが、こと、この八箇峠については、並ならぬ感情が含まれている気がした。 そして、彼は言った。 「夏場には近づけない」 -らしいと。 私は、彼が示すいくつかのサイトのレポートを見たが、確かに偉大なる先人の数人が峠に辿り着いてはいるものの、みな、盛夏期を避けているようだ。 はたして、夏場にはどんな景観がそこにあるのだろう。 本当に、近付くことさえ出来ないというのだろうか。 たかが、たかが薮ではないのか?! 別に私は、そんな無意味な挑戦に駆られたわけでは決して無く、単に、この時期に通りかかってしまっただけである。 まさか、あんな重大な困難が待ち受けているとは、思っていなかった。

                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 浜隧道(仮)

                          平成21年3月19日は終日、房総東海岸を縦貫する国道128号の旧道巡りに費やした。 鴨川を夜明けと共に出発し、どこまで行けるかは敢えて問わずにひたすらに東進。 夕暮れまでに、いすみ市大原へとチャリを進めることが出来た。その後は外房線を輪行してこの日の探索を終えたのだった。 もちろん「旧道巡り」であるから、少しは準備がある。 事前に入手した明治末の5万分の1地形図を元に、最新の2万5千図に現国道と異なるラインを赤ペンで書き込み、それをプリントアウトしたものを頼りに旧道を巡り“走る”のだ。 ただ、基本的にこの方法だと地図に現れないほど小さなルート変更以外の見落としは無いが、レポートとしては映えない市街地の旧道にも多くの時間を割くことになる。 よって、ネタ収集という意味では決して効率的ではない方法だが、それでも私はこの手のロングスケールな旧道巡りが大好きである。 ピンポイントの探索では味わえない

                          • 隧道探険隊

                            山行がの歴史に欠くことの出来ない1ページを刻んだ笹立隧道。 2003年の2月初頭、善法寺側から雪の山道を辿り隧道に至り、そこで自身の限界と戦いながら、閉塞寸前となったおおよそ200mの洞内を、潜り抜けた。 その模様は、隧道レポートに認められているから、古い読者ならばご存じの方も多かろう。 しかし、今当時のレポートを改めて読み直してみると、誠に恥ずかしい部分が多い。 それは、文章の拙さや大仰な表現といった部分だけではなくて、むしろ、あの頃の現実そのものであった、装備の未熟さによるところが大きい。 そこがまた、必要以上に、私に苦痛と、恐怖感を強いていたのだろうし、穿った見方をすれば、そこが、レポートとして評判が良かった理由かも知れない。 話がそれた。 私は、あれから3年あまりを経た2005年の6月1日に、再訪した。 そして、隧道自体については、難なく通り抜けることも出来た。 一度は通り抜けてい

                            • 廃線レポート

                              玉川森林鉄道は、生保内営林署によって昭和10年から敷設が開始された軌道であり、その全長は40.5kmと記録されている。 さらに、多数の支線も存在しており、玉川源流部からの原木輸送を目的とした、県内有数の一大森林軌道網を形成していた。 本路線について特筆すべきは、中盤の鎧畑地区におけるダム開発によって付け替え線が生じている事だ。 県営鎧畑ダムは昭和27年に施工され、33年に竣工を見ているが、この前後の軌道は昭和31年に新線に切り替えられている。 ただし、県内で同様の経緯を持つ森吉森林鉄道におなじく、新線の供用期間はきわめて短期であった。 沿線の道路整備が、差しあたり玉川温泉を目指し奥地へと進むにつれ、軌道は順次トラック輸送に転換され、遂に昭和38年には全線が廃止されている。 すなわち、付け替え線が現役だったのは僅か8年足らずという事になる。 森吉と決定的に異なるのは、付け替え軌道の大部分が予

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第159回 国道252号旧道 持寄地区

                                【周辺地図(マピオン)】 今回行ってみたのは、福島県の会津地方の中西部に位置する柳津(やないづ)町にある短い廃道。 新潟県柏崎市と福島県会津若松市を結ぶ国道252号の旧道であり、昭和52年までは使われていたようだ。 右の地図を見て欲しい。 中央の川べりに描かれている一本のトンネルが、昭和52年に竣功した持寄(もちより)トンネルである。 地図にカーソルを合わせると昭和33年頃の地形図に切り替わるが、当時はトンネルの無いルートだったことが分かるだろう。 また現在はトンネルの前後に、かなり長いスノーシェッドないし洞門も描かれているが、これも当時は存在しなかったようだ。 ということで、只見川の川べりにあるこの数百メートルの旧道を紹介しよう。 まずは、東側から。 2009/6/28 9:17 地形図で“屋根付き”で描かれていた部分には、雪国特有の道路構造物「スノーシェルター」があった。 スノーシェル

                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群

                                  以前公開した廃線レポート「玉川森林鉄道」では、玉川森林鉄道のうち、起点から玉川ダムまでの区間を探索・紹介したが、途中の鎧畑ダム周辺にある新旧線については、新線のみを紹介している。 ダム湖(秋扇湖)に水没した旧線については、素通りせざるを得なかったのである。 だが、2005年7月末、ユウタ氏が当サイトの掲示板に投稿された写真を見て、私は驚いた。 そこに写っていたのは、これまでいくらダム湖の水位が下がっても決して地上には現れることがなかった、旧軌道跡の隧道のように思われたからだ。 再調査の必要を感じた私は、細田ミリンダ氏を誘って現地へ向かった。 → 問題の投稿写真。(ユウタさん ありがとうございます!) 角度がよく分からないものの、従来対岸から見えていた水没隧道よりもさらに深い位置にあるものに見えた。 本文に入る前に、玉川林鉄について簡単におさらいしておこう。 玉川森林鉄道は、大正10年に生保

                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

                                    今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道513号 梁川猿橋線

                                      本線は極めてマイナーな道である。 山梨県道513号梁川猿橋線は全長4542mの一般県道であり、地図とその延長と照らし合わせてみる限り既に全線が供用されているようである。地図によっては途中をかなり細い線で描いているものの、国道20号と桂川を挟んで平行するそのルートは、バスも通る生活道路のようだ。 次の地図をご覧頂きたい。 だが、私はこの路線はまだ、本懐を遂げていないと考える。 本当は、梁川駅付近まで伸びたいのではないか? その根拠はずばり、路線名に対し今の県道は中途半端に感じられるという点に第一を置く。 また、地図に描かれた終点の状況も、私の目にはどこか不自然に感じられる。 さらに、古い地形図にのみ描かれた、「その先の道」の存在も重要な根拠である。 ただし、これはあくまでも私の妄想である。 現在の起点は下畑という場所にあるのだが、ここは大字で見るとギリギリ大月市梁川町に掛かっている。本当にギ

                                      • 隧道レポート

                                        今回紹介する隧道は、田代隧道という。 これは、県内の森林軌道網を調査する活動の中で発見した林鉄用隧道の一つである。 その由来は、秋田県で最古の森林鉄道である仁鮒森林鉄道の、田代支線という支線上に建設された隧道であり、支線全体の竣工は昭和22年である。 同線は、濁川林鉄の本線が辿る内川の最大支流である田代川に沿って上流を目指す路線で、「日本一の杉」の聳え立つ水沢保護林などが沿線にある。 しかし、本隧道の施工された区間は地形的難所であり、なかなか軌道を建設できない部分でもあった。 それで、軌道開通以前の田代川流域の集材には、当時東洋一と謳われた峯越インクライン設備などを利用し、この急峻地を迂回してきた歴史がある。 2003年11月5日。 朝の空気は静粛としており、吐く息も白い。 私は、ここ二ツ井町南部の仙ノ台にあった。 ここは、内川流域では奥から二番目の集落であり、最も奥の集落は、本流である内

                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 宇佐美峠

                                          熱海と伊東の間に、初めて車道の建設が始められたのは明治40年である。 この道が現在の国道135号の前身となるが、予算不足と関東大震災による建設中道路の大破などにより、全通は実に19年越しの大正14年だった。 ようやく出来上がった県道も、幅2.7mほどと極めて狭く、なお伊豆の陸上交通は発展途上の状況にあった。 大正14年12月には静岡県会によって「伊豆大循環道路促成改築案」が議決され、初めて半島の海岸沿いを循環する車道を体系的に整備するプランが立てられた。この工事は西伊豆(現:国道136号)、東伊豆(現:国道135号)の各所で進められ、現在の東伊豆町トモロ岬が昭和8年6月に開通したことで全通を見た。 昭和5年に北豆大地震が発生し、大正14年以来の熱海伊東間の県道は数ヶ所で大破した。 しばらくは徒歩連絡を余儀なくされたが、国庫補助が適用され、より強い道として甦った。 昭和28年二級国道135号

                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道127号 旧道及び隧道群

                                            国道127号は房総半島の西海岸を南北に縦貫する全長55kmあまりの路線である。 そのルートは半島南端の館山市より始まり、安房郡富浦町、同富山町、同鋸南(きょなん)町、富津市、君津市を通り、木更津市で国道16号東京環状へと繋がっている。(このうち富浦町と富山町は2006年3月に周辺数町村と合併し南房総市になった。) この路線の特色としては、海岸通りに多くの隧道を持つ事が挙げられる。 その多くは戦時中に軍事国道として整備されたもので、なお現役で利用されているほか、更に古い道筋が周辺に散見される状況にあり、全国でも屈指の旧隧道密度を誇る路線と思われる。 以下にこの道の歴史を簡単な年表にした。

                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道318号 上小国下川原線

                                              福島県北建設事務所が管轄する一般県道上小国下川原線は、同所発行の「管内概要」によれば、実延長6045mの路線である。 平成18年現在、このうち0.7kmが交通不能区間に指定されている。 本路線は伊達市霊山町上小国において主要地方道霊山松川線より分岐し、福島市境をなす小山脈を越える。この初っ端の区間が不通となっている。 その先は福島市大波地区に下って国道115号と交差し、そこから再び伊達市保原町との境をなす峠を越え、下川原地区に下ると一般県道山口保原線に合流し終点となる。 本路線は、福島市と伊達市の山間集落を相互に連絡し、ほぼ全線が山間部に位置する、国道及び主要地方道の補助的路線である。 私は、東北一円が雪に閉ざされつつある12月の初旬、草藪の弱った時期を見計らうようにして、この短い不通区間へ挑戦した。 この道は、今年春に周辺町村と広域合併を果たし「伊達市」となった旧霊山(りょうぜん)町が関

                                              • 【山さ行がねが】道路レポート (一)太井上依知線 小倉不通区

                                                神奈川県道511号太井上依知(おおいかみえち)線は、相模原市津久井町太井と厚木市上依知とを結ぶ、全長12.7kmの一般県道である。 その全線が相模川に沿っており、城山・津久井方面から相模原市南部及び厚木方面への抜け道として、朝夕を中心に交通量の多い都市近郊路線である。 この道には、“知られざる区間”が存在している。 しかし、頻繁に利用しているという方でも、まずその存在を知る人はいないと思う。 “知られざる区間”なのだから。 通常、この県道の起点は、城山町小倉の小倉橋交差点であると思われているし、あらゆる地図はそのように描いている。私の持つ数種類の地図から“google map”に至るまで、そこを起点として描いていない地図はなかった。 だが、そこはあくまで城山町小倉である、路線名にある起点津久井町太井とは最低2kmの隔たりがある。 もし県道名にその路線の趣旨や接続目標といったものが反映されて

                                                • 隧道探険隊

                                                  主要地方道寒河江西川線は、寒河江(さがえ)市のJR左沢(あてらざわ)線羽前高松駅付近で国道287号線から分かれ、国道112号線と寒河江川を挟み平行して西進。約13kmをもって西川町間沢にて国道112号線に合流して終わる、国道を補完し地域ネットワークを構成する路線である。 寒河江川に沿っては他に山形自動車道が、目を瞠るほどの高所を連続した橋梁とトンネルでもって通過しており、この三つの道が絡まり合うようにして、庄内地方と山形地方の動脈を形成している。 さてこの一角に、極めて現道の近くにありながら、今日ではその存在が現道から全く関知できなくなってしまった旧隧道が存在する。 その名も、吉川隧道。 「山形の廃道」サイトによると、昭和11年竣工の全長89,8m。 私がこの旧隧道の存在を「山形の廃道」さんのレポートにより知った2003年6月。 私は一度目の接近を試みている。 その日は抜けるような快晴で、

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 群馬県道63号水上片品線旧道 須田貝地区

                                                    【周辺地図(マピオン)】 利根川の源流は群馬県みなかみ町にあるが、この本流沿いの最も上流に位置する集落が大芦だ。 一帯は関東の電力需要を支える大電源地帯で、利根川の本流支流を問わず幾つものダムが建造されており、集落のすぐ上流に須田貝(すだがい)ダムが、下流には藤原ダムが控えている。 右の地図を見て貰いたい。 ここを通過する県道63号水上片品線は、須田貝ダムの脇を小さな峠で乗り越しているのだが、その下に一本のトンネルが描かれている。 一見すると峠を迂回する新道のように見えるのだが、この道、最新の地形図では別の描かれ方をしている。 敢えて左の地図中にはなにも書き加えなかったが、上の地図と比較して貰えば、どこに“トンネルがあるべきか”分かるだろう。 … …… ……… そう。 地形図にはトンネルは描かれていない。 「これは何かあるな。」 トンネルの消失という事態に強烈な廃の香りを感じ取った私は、

                                                    • 道路レポート

                                                      で、私としては「通行不能」などと言われれば、もちろんどっちも興味津々というわけで、 去る05年9月24日とその翌日にかけ、この二つの大峠にアタックし、 結果として、一つを制覇、もう一つは、失敗した。 本稿で紹介するのは、このなかで失敗した方の大峠である。 その名も、山形県主要地方道3号(米沢南陽白鷹)線、大峠だ。 問題の通行不能区間の周辺図が右。 路線名の通り、米沢市から北上し南陽市、さらに北上して松葉沢山を大峠で越え、白鷹町に至る。 全長は約35kmで、そのうち5.2kmが通行不能区間として公式に案内されている。 こちらの「大峠」は決して高い峠ではなく、その気になれば越えられそうな気さえする。 なんと言っても、海抜1156mの日本一大きな?大峠を突破したその日のことであるから、「こんな大峠なんて、小さい小さい。」などと、鼻歌交じりで突破する予定であったのだが…。 結果は無惨な、惨敗。 も

                                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区

                                                        福島県国県道現況調査(平成15年版)によると、主要地方道31号浪江国見線には、1区間4.2kmの自動車交通不能区間がある。 これは、その区間を突破せんと試みた、山チャリではおそらく史上初の…… 試みである。 この不通区間があるのは、今年元日までは伊達郡霊山町で通っていた、伊達市の霊山付近である。 この「霊山」は、ふつう「れいざん」と読む一般単語だが、この地名は「りょうぜん」と読む。 読みは違っていても、その旧町名の由来となった山 霊山(りょうぜん・海抜825m)は一度見た者の心に残らずにはおかない、異様な山容と、日本のマチュピチュ都市遺跡かと思わせる霊山城址などの古代史に彩られた、福島の代表的な名山の1座である。 不通区間とされているのは、旧霊山町霊山閣跡~登山口までで、私の手持ちの地図帳や地形図(2.5万分の1)などでは、霊山閣跡から1kmほどは細い実線、その先登山口までの3kmほどが点

                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回

                                                          私にとって、本格的な廃道デビューの地「仙岩峠」。 秋田岩手両県にとって最も重要な交通路であるこの峠の一帯には、戦国時代よりも昔から道が存在していた。 だが、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡の頭文字を取って名付けられたのは明治8年のことで、それまでは国見峠と呼ばれていた。 我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。 それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。 また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。 私がこの仙岩峠“明治道”に着目したの

                                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート ラサ隧道

                                                            本州最東端の街、宮古。 三陸海岸のほぼ中間地点に位置するこの港町は、内陸の田老鉱山との結び付きが深く、かつては重工業都市として有数の地位にあった。 しかし、昭和46年に同鉱山が閉山し、市街地に巨大な工場を構えていたラサ工業の高炉から火が消えると共に、街自体の活気にも衰えは隠せなかった。 現在は、県都盛岡の真東に位置し三陸交通や観光の地理的な中心地というの地位を活かし、また秋田-盛岡-宮古という北東北の新しい軸を発展の礎に据え、新生宮古市へ向けて発展の努力を続けている。 かつて繁栄を支えた精錬工業に活躍した鉄道が、いまも市内に二つの廃線跡として、その名残を留めている。 一つは、JR山田線宮古駅から閉伊川の河口部に沿って市街中心部を東西に横断、鉱石や製品の積み出しなどにも盛んに利用された宮古港に終点駅を置いていた、わずか2kmの貨物支線。 通称“宮古港線”である。 昭和19年に宮古港駅が開業し

                                                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道128号旧道 旧行合隧道(仮)

                                                              【周辺地図(マピオン)】 外房の海岸沿いを通り房総循環線の一部を構成する国道128号。 この地図は、勝浦市浜行川(はまなめがわ)一帯における新旧路線の比較である。 旧地形図は明治36年測図版の5万分の1「天津」を用いた。 当時はまだ国道ではなかった路線上に、2本のトンネルが連続して描かれている。 左の現行地形図と見較べても、その様子に違いはなさそうである。 だが、この何気ない地図風景にこそ落とし穴があった。 北側の行合隧道の方向と長さは、誤差で片づけられないほど現行地図と異なっている。 注意深いオブローダーであれば当然、ここには左図のような旧道と旧隧道の存在を疑うべきであった。 だが私は昨年(平成21年)3月に一度実施した「国道128号旧道巡り」において、これを華麗にスルーしていた。 この探索では「浜隧道(仮)」「向台隧道」などの成果を得ていたが、ここには気付けなかったのである。 その敗因

                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 南伊豆の一條隧道(仮)

                                                                おかげさまで、最近は皆様から日々多くの情報をご提供いただいており、私自身が地図や地誌と睨めっこして探さなくても、それなりに探索のネタが集まるようになってきた。 しかも、多くは地元の方から寄せられるそういった情報の方が精度も深さも上であるから、私の仕事はますます少ない。 だが、オブローダーならば忘れたくはないのが、事前に情報の無いモノを、地図一枚で探す興奮だ。 今回は、伊豆半島の南の端からお送りするのは、そんな “なつかしい” スタイルのレポートである。 【周辺地図(マピオン)】 左の旧版地形図(大正15年5万分の1「下田」)を見て欲しい。 場所は下田市の西に接する南伊豆町一條で、伊豆半島の南端にも近いエリアだ。 赤い○で囲んだところに描かれているのは、隧道の記号に他ならない。 しかも、珍しいのは隧道が破線の道に描かれているということだ。 破線、すなわち徒歩で通るような道に隧道があるとしたら

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